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葡萄畑の傍に庵を結び、日々徒然なるまま  このブログのシステムもよく理解できぬまま、 勢いで始めてしまったブログ。
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0400時。

周囲が寝静まった宿舎の中を、こそこそとザックを担いで忍び足で出てゆくワタクシの姿は、どうみても夜逃げに見えたことでしょう。
でも感じていたのは、夜逃げの敗北感とは程遠い(・・・なんて書くとなんだか経験者のようですが、もちろん経験したことはありません・・・まだ。)、山に向かう高揚感なのです。
日帰りとはいえ、久々に手応えのある山行に向かう山靴も、いきいきと足首を支えてくれているのを感じます。

外に出ると、秋分の日を越えて久しい早朝の景色はまだ真っ暗。
でも、それこそ「目をつぶってでも」歩くことのできる小梨平あたりまでは、ヘッドランプ無しで行こうと歩き出しました。

河童橋あたりで暗闇に目がなれたのを感じ、ふと見上げると満天の星空。しばし足をとめます。
視線を感じて振り返ると、両手を縛られたカシオペアが、自由なワタクシを恨めしそうに見ています。
その横ではケフェウスが素知らぬ顔をしています。
ペルセウスやアンドロメダもいるはずなのですが、よくわかりません。
もちろん見つけられはしませんでしたが、この近くには「きりん座」なるものもあるそうで。
遠くアフリカはエチオピアの王朝の神話を彩る登場人物たちが、今、上高地にいるワタクシを見下ろしている、そんな不思議で神秘的な現実の中を、ワタクシは再び歩き出しました。

星座劇 役を貰えぬ我なれど せめては姫の小道具たらん

小梨平を過ぎる頃、前方を厚く閉ざす暗闇にヘッドランプの光のドリルで穴をうがち、前進開始。
ほんとうに暗い。
明かりをつけると、明かりが当たっている部分に目が慣れて、外側の部分は却って暗く見えてしまうものだとわかってはいても、さすがに光のない森の中でライトを消す気分にはなれません。
ただ、ところどころ森が途切れる部分があり、そこではせっかくなのでライトを消してみることにしました。日の出もまだ、月もすでに沈んでしまっているのに、開けた場所はなぜか明るいのです。
光源は、いうまでもなく星。
今時よほどの田舎に行ったとしても、人間の生活圏で星明かりを頼りに歩くなんて経験はなかなかできないものです。
月明かりは、肌に優しく沁み込む感じがしますが、星あかりは、もっと深く、骨の髄にまで届く感じがします。このままここに居続けたら、骸骨が光って透けて見えてくるのではないかと思うくらい。
そしてまた森のトンネルへ。

明神橋分岐通過 0445時。

徳沢に近づくにつれ、空が少づつ白くなってきました。
開けたところでふと川の対岸を見ると、今まで黒一色だと思っていた空間に、何やら濃淡が現れ出しました。
歩くにつれてその正体がはっきりしてきます。
R0012159.JPG
明神岳の稜線です。















R0012160.JPG
















日の出はまだ先なのですが、やはり太陽に由来する光というのは、こんなにも安心を与えてくれるものなのでしょうか。
すでにヘッドランプを消したワタクシは、予想以上にはかどった行程に幸先のよさを感じながら、徳沢へ到着しました。 0535時。


少し休んで出発。
R0012174.JPG徳沢のテン場では、早立ちの人たちが出立準備をするヘッドランプの明かりがうごめいていました。






























R0012185.JPGほどなく新村橋へ到着。
事実上、ここがパノラマコースの入り口となります。

これから越えてゆく稜線が、ますます鮮明に見えてきました。



























R0012192.JPG










橋をわたって林道を歩くと、ほどなくパノラマコースへの分岐にたどりつきました。

深呼吸をして、軽くストレッチ。


出発 0600時。
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秋がやってきました。

秋といえば、誰が何と言おうと紅葉なのです。
そして紅葉と言えば、涸沢なのです。
これはもう動かし難い事実、いいや、真実なのでありまして、かつ、ここの紅葉を見てしまったが最後、もう他の景勝地の紅葉では飽き足らなくなり、さらに秋が近付くとここの景色が恋しくなり、蒲団の上で身をよじり、狂おしく眠れない夜を過ごす、秋の涸沢とは、そんな麻薬のような危うさを秘めた「禁断の果実」でもあるわけなのです。

とはいえ、誰でも気軽にたどりつける場所、というわけではありません。
なにせ、最寄りの交通機関の終点(上高地バスターミナルのことね)からは、標準で徒歩6時間かかる場所にあるわけなのですから。
さらにそこまで累積標高差800m以上あるということをお忘れなく。

でも、その片道6時間の行程を、鼻歌まじり、お散歩気分で歩き通すことのできる異常な人種がおります。
彼らの名を「山ヤ」と申します。
恥ずかしながら、ワタクシもその一員であることをここに告白せねばなりますまい。


そんな涸沢。
ようやく会いにゆく機会に恵まれました。
10月10日体育の日・・・って、今はもう違いますね。
でも10月10日が、なぜ体育の日に制定されたことがあったかと申し上げますと、この日が統計的に最も晴天率が高い日だったから、というのは有名な話。知らなかった人は、こっそり覚えておくように。

そして、偉大な統計の神様のおっしゃる通り、10日はどうやらいいお天気らしいのです。
数日前から、ココロのなかの小躍りが行動に出てしまわないように苦労していたワタクシなのであります。
(おそらく行動には出てしまっていたのでしょうが、周囲が見て見ぬふりをしていたか、面白がって眺めていただけだった可能性のほうが大きいのですが・・・)

ほんとうはね、連休とってテント担いで行きたかったんですが、生憎一日しか休みが取れなかったので、まあ仕方なく日帰りを画策したわけなのですね。
ということは、涸沢からどこかの山(奥穂とか)を越えて、周回コースで上高地に戻る、なんていう周遊気分を楽しむことは、これで現実的な話ではなくなったわけで、これはもう単純往復するしかないか・・・。
なんとかして往路と復路のコースを違える方法はないものか・・・。

とはいえ、単純往復したとしても、一日歩行時間正味11時間。(下りはちょっと早くなるからね)

うーん、1日8時間以上の行動なんて久しぶりだぁ~。
ほぼ1年、マトモな山登りをしてなかった身体が最後まで動いてくれるかなぁ。

なんて不安がモコモコと頭をもたげた先から、「楽観」という名のブルドーザーが、そんなモコモコをあっという間に地ならししてしまい、クリアになった地平線の先に見えたのが「パノラマ」という文字。そうだ、そのテがあった。


「パノラマコース」。
地図の平面上で見ると、涸沢へ達するメインルートをショートカットする形に見えているルートで、「パノラマ」なんて名前も相俟って、お、いいルートじゃん、なんて思いがちなのですが、冷静に等高線を読んでみると、これがとんでもない喰わせ者であることがわかるのです。

まず、上高地方面からこのコースに入る場合、密にひかれた等高線を一直線に突き抜ける形で引かれた点線を辿ることになります。つまり「急登」ということ。
さらにその点線は、勢い余って目的地たる涸沢のある標高2300mあたりを突き抜け、2500メートルくらいにまで達して、ようやく止まります。
登山口からの標高差900m。その間登りっぱなし。それに加えて、最高地点から先は、「がけ」の表示がびっしり連なる中を、点線は等高線とわずかな角度で交差しながら涸沢へと達しているのです。
これは、滑落や落石の恐れのある崖の中腹を横切りながら、じりじりと下っていくことを意味しています。
このコースと通常コースを使えば、周回コースを構築できるというわけで、たとえ単純往復だったとしても素晴らしいであろう涸沢行きに、さらに華を添えることができるというもの。

それにしても、見るからに疲れそうで、苦しそうで、痛そうで、怖そうで・・・・なんて素敵なコースなんだろう!
上記で、自分が「山ヤ」であることを告白したワタクシではありますが、もののついでにもうひとつバクロしてしまおう。

すべての山ヤはマゾヒストである、と。


さてさて、次回からは、涸沢中毒の禁断症状の果てに、日帰りにも関わらず、労の多そうな因果なコース取りをしてしまったワタクシの山行記が始まります。

今回はウタも写真もなし。次回を剋目して待て。
ef0a3790.jpg

 
  




















旧き友 絆は常に新たなり
                       山岳(やま)に要を託し居たれば


五月ごろの話

お一人でいらしたお客様とお話をさせていただきました。
腰も曲がらず、実に「かくしゃく」という言葉が似合う、90歳の男性でした。
宿泊者数も少なくとてもヒマな日でしたので、彼の昔語りに長々とお付き合いできたのは、今思えばとても幸運でした。

戦前の話
丹沢の大山から東京まで、全国から選抜された選手によるマラソン大会に出場した経験。
ゴール地点の明治神宮にたどり着くと、壇上には名誉の負傷をした英雄たる戦傷軍人たちが居並び、その中央には天皇陛下がいらしたそうです。
当時の一般的日本人にとって、天皇陛下をナマで見られることがどれほどのことであったか、それを考えると、このイベントがどれだけ重要なものであったかが分かろうかというものです。

そんな大会の選手に選抜された理由は、彼が飛びぬけて身体壮健だったからなのでしょう。
その彼の健康の源であり続けたのは、山。

今のように交通機関も、コース整備も十分ではなかったころの登山。
頼りは己の力と仲間の信頼のみ。
ザイル・ハーケン・カラビナ・・・そんな信頼を繋ぐ道具の名前が、いちばん輝いていた時代だったのでしょう。

話が終わると、彼はひとつの道具をワタクシの手に載せました。
カラビナでした。

「ムカシの友達のものだよ、もう何十年前のものだろうね」

ワタクシはその使い込まれた金属の光沢に、吸い込まれそうになりながらしばし見入った後、それを彼に返そうとしました。すると彼は・・・。

「それはアナタに差し上げます」

え?お友達の大事な品なのに・・・?

「もう ここに来るのはこれが最後かもしれない。だから、こいつを山に返しに来たんだよ・・・。」


以来、このカラビナは事務所の壁にかかっています。
このままここにいるか、いずれ穂高の壁にでも置いてくるか、もうすこしこのカラビナとじっくり話をしてから決めたいと思っています。

本体には「EVER NEW PRODUCTS」と刻印されています。
「エバニュー」・・・大正時代創業、今でも活躍中のスポーツ用品メーカーです。
字面、およびカタカナにして発音したときの語感共に、とても洒落たブランド名だと思います。
34d23940.jpg
 






















一位なる雲上に座すお方より 下し賜る 一朱なるかな

上高地ではよく見かけるイチイの木。
秋につける赤い実は、上高地のおサルさんの大好物です。
いえいえ、ニンゲン様だって食べられるんですよ。甘くて美味しいんです。

信濃笹の藪をかき分けた、木の根もとの奥座敷に、「どうぞ」という感じで、枯葉のお皿にちょこんと盛り付けられた実を発見しました。

そんなイチイの木、漢字では「一位」と書きますが、これはその昔、高官の笏(聖徳太子が持ってるおしゃもじですね)を作るのにこの木が使われていたことに由来する、という説があるのだとか。

なるほど、そんな高貴なお方よりのご馳走なのですな、これは。ありがたやありがたや。
実の朱色も、なにやら金を連想させてありがたさ倍増ではありませんか。

それにしても

はて、二朱金とは聞いたことがあるのですが、一朱金とはこれいかに。

実は二朱があるなら一朱もあったのだろうと、かなりいい加減な推測で詠んでみたのですが、やっぱり不安になったので、「一朱 検索」ってな塩梅で調べてみました。

どうやら存在したことはあるそうで、ほっと一安心なのですが、その実情たるや・・・。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E6%9C%B1%E9%87%91

一位は周りの赤は甘いのですがが、種は毒だといいます。
しかも一朱金とは上記のようにヒドイ代物。

もしかしたら、果肉の甘さに惑わされて、下し賜ったなどと浮かれている場合ではないのかもしれぬ。
となると真実はおそらく以下の如くでありましょう。

一位なる殿のお袖の下からか こぼれ落ちたる こがねの一朱

悪銭身につかずと申します。
どうやら邪な手段で手に入れて、しかもたらふく溜め込んだのでありましょう、一位のお大臣さまの袖のしたから零れ落ちたものは、間違うかたなく、鐚銭扱いの一朱金。

さてさて、お大臣様とどこぞの悪徳商人との癒着の動かぬ物証を手に入れましたワタクシ、このさきどうするべきでありましょうか。やはり東京地検特捜部にでも告発いたしましょうか・・・?

なになに、江戸時代の贈収賄は、すでに時効にかかっております・・・ですと?

・・・かように秋の夜長は妄想で更けていくのであります。

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葉のみどり 太陽のいろ 
     加うるに 嵐のいろを 混ぜて秋色



昨日はものすごい嵐でした。
おそらく本州は全て強風が吹き荒れていたとは思いますが。
そもそも気圧配置がタダゴトではなかったですからね。

たとえばぐっすり寝込んでいて、突然「寝坊した!」と思って目が覚める、あわてて服を着ているうちに寝ぼけが覚めてきて、改めて時計を見ると、まだ寝てから1時間と経っていなかったりする。そんな経験ありませんか?
いや、唐突に変なたとえ話を出しましたが、今回の嵐、シベリア駐屯の冬将軍様(半島の将軍様に非ず)が、まさに上記の状態で出撃してしまったような、そんな気がするのです。

この嵐で、近くにある目通し1mあるかないかぐらいの大木が、夜のうちにぽっきり折れてしまいました。
そんな強風を画像に収めようと遊んでいたら、こんな画像が撮れたのです。
ちょっとだけ画像処理して色合いを調整してありますが、基本的に撮ったままのものです。
だけどなんだか絵画みたいな、面白い感じになりました。

この嵐が過ぎると、風景は急速に秋への衣替えに移っていくのでしょう。

景勝地の秋の紅葉。
特に上高地のそれは素晴らしいものがありますが、もちろん一朝一夕に出来上がるわけではありません。

寒い冬をじっくり乗り越えた冬芽が、あのうっとりとするような萌黄色の新芽を吹いて、残雪の白と共に春の景色を作り上げ、さんさんと降り注ぐ太陽は、その緑色をどんどん濃くしてゆき、最後は次の世代への木々の想いが、景色を赤や黄色に染め上げるのです。
それはさながら画家が、パレットにいろんな種類の絵の具を溶いて、ひとつの色を作り上げるかのようです。

そしてその色には、「嵐色」という、今まで知らなかった色が、かくし味のように使われていることを、このときワタクシは発見したのでした。


さて、2つ前の記事に関して。
40匹のうちまだ26匹の里親が見つかっていないそうです。(MARさんのブログ及びよしさんのHPより)
でも日本にはこのような境遇の動物たちが、26匹どころでなくいるのです。

繰り返します。これから動物を飼おうとする方、その動物が天命を全うするころの将来の自分の状態を、もっとも「悲観的に」想像してみて、その上で見捨てない覚悟をしてください。

26匹の犬たちが生きながらえますように。そしてこのような境遇の動物たちが少しでも減っていきますように。
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