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画像の日付を見ると、2003年4月。
ちょうど5年前の今頃、ワタクシは買ったばかりの愛機FinepixS304を手に、春の白馬を駆け巡っていたのでした。
白馬のもっとも美しい季節は5月だと思います。
里は緑、山は白。天候も安定し、GW過ぎると人も少なく落ち着いて、皐月晴れの日差しを存分に独り占めできるからです。
だけど4月だって悪くない。特に人の少なさでいうと、4月は最高です。
画像の場所は特にお気に入りの場所。糸魚川方面から国道で白馬入りすると、とあるカーブを曲がりきって、突然目の前に開けるこの景色。
新潟県側から天気のよい日に白馬入りする、幸運なドライバーにのみ許される眺めです。
今は亡き愛車、ダイハツロッキーのステアリングが懐かしい・・・(涙)
そして今は亡きといえば、この年に撤去されてしまった送電線路、「黒部幹線」の鉄塔群も、味があってよかった。
昭和2年生まれの彼らですが、すでに役目を終えて送電線が外されています。送電線撤去工事の模様を、追いかけて見ることができたのは、貴重な経験でした。
「アルプスの鉄塔」なんて呼びたくなる253号鉄塔。
黒部幹線は、黒部川で発電された電力を東京へ送るためのもので、いったん日本海ちかくまで黒部川をくだり、親不知を越え、姫川をさかのぼって、この白馬を通ります。
建設当初の計画案の中には、背後に写っている山並みを越えて、直接白馬まで引くものもあったそうですが、実現したとして、冬場のメンテナンスはどうするつもりだったのでしょう。
この日の撮影テーマは、「五竜」でした。
五竜がいちばんカッコ良く見える景色をさがして、方々歩き回っていたのです。
そしてたどり着いたのがここ。254鉄塔と五竜。
当時は寮住まいでしたが、結婚してその後に住んだアパートからこの画像の場所までは徒歩5分程度でした。
富士に月見草が良く似合うように、五竜には鉄塔が良く似合っていると思いませんか?ワタクシだけですか?そうですか。そうですよね。でもいいや。
ではおやすみなさい。
「弘法山」
お大師さまとのつながりはよくわかりませんが、山頂に古墳があります。
前方後方墳です。まえもカクカク後ろもカクカクってやつですね。
でもなんといってもここの目玉は、全山これすべて桜という、やりすぎ植樹。
さて、まずはふもとにある老舗パン屋の、最近オープンした新店舗で腹ごしらえ。ここのイートインコーナーには、エスプレッソマシンが備え付けてあり、コーヒー、ラテが、な、なんと「無料で」楽しめます。
いいですSWEET。
このお店のばんじゅうには、老舗らしく「スヰト洋菓子店」なんて書いてあったりします。
名づけて「カメロンパン」。
こんなつぶらな瞳で見つめられてはとても食べる気になんて・・・とてもかわいそうで・・・あいらしくって・・・
「がぶり」
アタマから肩のあたりまでを一口でかじったのは、私ではありませんたら。
※
ほんとうは、全山これ桜のちょっとシュールな画像をお届けしたかったんですが、まだ3分咲きにもなっていませんでした。それはまたそのうち。
でも山頂の古墳を取り囲むように、色の濃い枝垂桜が7分ほどの咲き具合で、その下で残りのパンを平らげたりしたのでした。
願わくは花の下にて春死なん・・・
先ほどのカメロン君の辞世の句です。
花の下には女子高生たちのお花見集団がいたりしまして、花の下だけに鼻の下を伸ばしながら、もれ聞こえてくるキャピキャピ会話に耳を傾けたりしてますと・・・
○○ちゃんは○○センパイが好きなんだよいやあそんなこといわないでほんと○○ったらみかけによらずきゃははははは・・・
てな感じで青春まっさかりですなぁ
我々としてはオトナの余裕をかまして、こんな風に夫婦二人でしっとりと街を見下ろしていたりしたいところです。
(画像はイメージであり、ブログ執筆者とはいかなる関係もございません)
オートとかプログラムに任せりゃいいものを、知ったかぶってマニュアルモードでいらうから。
でもフィルム代現像代を気にせず、下手なテッポウ数打ちゃ当たるができるのが、デジカメの良さ。
だけどそれでもブレブレの写真しか撮れていなかったりするのがショック。
上の写真の名も知らぬ花は、これだけの桜の森を背景に従えてしまう、不思議なオーラを発していました。
※
帰ると近所の「美ヶ原温泉 白糸の湯」でひとっ風呂。
露天風呂では、近所の農家のおじちゃんたちが害獣「ハクビシン」について熱く語っていたりする、ローカルな雰囲気の温泉です。なんでもハクビシンはトウモロコシを人間様よりもきれいに平らげてしまうそうで。
その後は焼き鳥屋「大吉」でディナー。
桂枝雀似の大将の、ソーラン節からクイーンまでをレパートリーとする、ハイテンション・オン・ステージを肴に楽しみました。他の「大吉」は、どうやら普通なようですが、ここ「清水店」だけがこんな感じだそうです、聞いた話。
さて、あすから松本勤務最後の二日間に突入します。有終の美を飾れるか。
たまには通勤途中の景色でもと思い立ち、カメラを持って「行ってきます!」
正面に蝶ヶ岳方面を見ながらチャリをこぎます。
このあたりは、自動車の流れに乗って、チャリを必死こいて漕ぐ区間です。
途中には風情のある民家も多いのです。
これはそれらのうちのごく一部。
こんな風情のある建物が続いているかのように見えますが、すぐ近くにレオパレスなんかがあったりする。
いやだから、画像に写っていないところは言及しなくてもいいってば。
ごみごみした、「元」商店街から眺める山並み。
「元」商店街とはいえ、まだまだ元気でやっている魚屋さんなんかがあります。
この通りの出口にある焼き鳥屋「大吉」はフランチャイズ店ですが、大将が桂枝雀にそっくりな風貌で、あの独特のハイトーン、ハイテンションで「ありがとサンキュー!」なんて言ってくれたりしますもんで、夫婦そろってここの大ファンなのであります。
♪乗鞍が見え~てきた オレの職場もちーかーいー。(byサザンの替え歌)
てなわけで、女鳥羽川沿いをひた走ります。
川のカモたちと話し込んで、遅刻しそうになったりするのもこのあたり。
右手の青銅色の屋根は、「上土団地」という市営住宅なのですが、旧松本市庁舎のあった場所で、その建物のファサードをそのまま利用しているという、粋な施設です。
この建物の向こう側は、タイムスリップしたかのような景色が広がるワタクシ好みの地区が広がります。
例の路地も、そのあたり。
右手の石垣護岸の上の黒屋根たちは、「ナワテ通り」と呼ばれる商店街です。
江戸時代の宿場町的な建物を模した建築が並び、マニアックなお店が一杯。松本に観光に来たら、まず訪れていただきたいところ。
奥の茶色いビルのあるあたりは、82銀行、長野銀行などが並ぶ、人呼んで、というかオレ呼んで「松本のウォール街」があります。
休憩時間には松本城に散歩に行けたりする、この恵まれた職場環境ですが、この職場で過ごせるのもあと数勤務日。
実は4月イッピで人事異動があり、ワタクシは栄転(ホントかよ)
となったのです。それに伴い、約半年間の単身赴任も決定・・・。
単身赴任先は・・・それでもやっぱり松本市内。
いやいや冗談ではなく、所謂平成の大合併で松本市となった、とある世界的観光地への赴任なのです。
ここは市街地からの通勤は、事実上ムリ。
仕事の上からいうと、最前線への異動と言うことで願ったりかなったりなのですが、気にかかるのは銃後の家族のこと。
♪まぶーたに浮ーかぶヨメーのー顔
・・・ん?なんか後ろで鼻歌が聞こえる。
♪亭主元気で留守がいい~
はあ~。(溜息)
せっかく軌道にのったブログではありますが、4/20あたりからは急に更新が滞ると思います。
週一更新できればいいほうかな。
宿舎では無線LANが使えるという話もありますもんで、早急にネット環境整えて、密な更新を心がけていこうと思っておりますが。
それまで・・・
・・・忘れないでね。
今日はもう眠いしね、さくさくっと画像中心で行くよ。浅間温泉路地特集。
いちばん気に入った景色がここ。
やっぱり坂というのがいいです。
でも路地というには広いかな・・・?
いやでもそんなことないぞ、いままで変な路地ばっかり気にしていたから、感覚が変になっているのだろうな。
ここもいい。なんたって水路があるのがいい。
路地という点では、上の画像の場所よりよいとは思うのですが、いかんせん、片側が鉄筋コンクリートのアパートであるのが残念なところです。
この画像だけ見ると、とても雰囲気のよい路地に見えるのにな。
だったら見えてないところのことなんか、書かなきゃいいじゃないか。
それもそうですね、そのとおりだ。
廃屋だけど風情があるのか、風情があるのに廃屋みたいに見えちゃっているのかよくわからない建物なんかが、塀越しにのぞいて見えたりしているのです。
いったいに、浅間温泉という地区が面白いのは、覗き込む路地ごとにいろんな表情を見せてくれているところで、宿泊してそぞろ歩くには、かなり面白いかもしれません。
日帰りでここのお湯に浸かったとしても、それでは浅間温泉に来たことにはならないでしょう。
お湯だけならば、我が家の近所の「美ヶ原温泉」のほうがいい湯質だと言われていますし。
パチンコ・射的・ストリップ劇場のような華やかな(?)設備はありませんが、まにあーっくな視点で、時には松本の街にくりだしたりしながら、戦前の文学者でも気取って逗留して楽しむというのが、ここの正統派の楽しみ方といえるでしょう。
ま、今時分、そんな温泉の楽しみ方を志す人がどれだけいらっしゃることですやら。
そうそう。
せっかく3月に「浅間温泉路地フィールドワーク」を行いながら、そういえばイロモノ的な路地の記事しか書いてなかった。
あんなものしか見つからなかったわけではなく、むしろ逆に、ワタクシにとっては宝物のような素晴らしいものばかりを見つけた所為で、披露する機会を探っているうちに、出し惜しみをしているような感じになってしまっていたのです。
でもいい加減にしないと、鮮度も落ちてくるというものです。
というわけで本日は、蔵出し大公開処分市と、いつものように無駄に大風呂敷を広げてみたいと思います。
その第一弾です。
本当にあの日は天気もよく、つい昨日までの冬の日が、遠い昔の出来事に感じられるような、暖かい日でした。
昔の路面電車の終着駅跡に作られた、浅間温泉バスターミナルの付近を歩いていると、こんな看板が。
「川島芳子旧宅跡」
ご存知でしょうか、「男装の麗人」「東洋のマタ・ハリ」などの異名を持つ、戦前戦中を駆け抜けた女性。
清王朝の王女として生まれ、関東軍と手を組んで満州国成立に関わり、片や歌を歌えばレコードも出し、しかし、戦後に銃殺刑に処せられた、悲劇のヒロイン。
以外に近くにゆかりがあったと知って、びっくりしました。
彼女が日本人の養父に(政治的な思惑のもと)引き取られ、少女時代を送ったのが、この浅間温泉なのでした。彼女はここから現在の蟻ヶ崎高校までを、馬に乗って通っていたといいます。見上げる女学生たちの憧れの眼差しが、容易に想像できます。
将校殿との恋愛(失恋)がきっかけとなって、髪を切り、男装するようになったともいわれています。
非常にカラフルな人生を送った方なので、多くの芝居、映画、ドラマなどの題材にされてきました。映画「ラストエンペラー」を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
ワタクシはなぜか、TVドラマに出ていた山田邦子を思い浮かべます。
ドラマの題名も、他にどんな役者が出ていたのかも全く覚えていないのですが、山田邦子演じる川島芳子が銃殺刑に処せられるシーンで、壁に向かった彼女が最期に空を見上げます。その晴れやかな表情だけが、鮮烈な印象として今も脳裏にあるのです。
理不尽な裁判で、不条理な裁き方をされて壁の前に立つ、そんな女性を演じるのに、山田邦子はなぜあんな解釈をしたのか、演出家はそれを承認したのか。
ワタクシなりによく分かる気がします。
生き抜いて、その先の地獄をみてこそ人生、そんな考え方もあります。おそらくは真実なのでしょうが、そんな苦役を免除される場合だってあるのでしょう。その特権を手に入れるためには、それなりの人生を送らなければならない。そして彼女はその資格を得るに十分な人生を送った、そんな自覚があったのではないでしょうか。そういう解釈のうえでのあの表情だと、ワタクシは一人合点をしています。
家あれども帰り得ず
涙あれども語り得ず
法あれども正しきを得ず
冤あれども誰にか訴えん
実際の川島芳子が、今際の際に何を想ったか、今となっては永遠の秘密ですが、遺体となった彼女の獄衣のポケットから発見されたとされる辞世の句が、なにかを語ってくれているようです。