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大振りなブルゴーニュグラスに入った液体。
目の前にあるマグナムボトルのエチケットには、
Domaine Sogga。
どこからどーみてもワイン。
しかしてその実態は、日本酒。
信州が誇るワイナリー、「小布施ワイナリー」が放つ、「信州地酒の最終兵器(と、店のメニューに書いてあった)、ドメーヌソガ・ペール・エ・フィス」を味わってきました。
場所は「アガレヤ 松本店」。
他に上田にもお店があるそうで、極上の宮崎地鶏や豊富な日本酒、焼酎のラインナップで楽しませくれるよいお店です。
お味の報告をしたいのですが、いかんせんあまりに豊富なポン酒ラインナップに負け、佐久乃花、田酒、飛露喜などなど、ついつい聞こし召すぎてかなり酔っ払ったため、どれがどの味だったやら、どんな味だったやら、すっかり記憶にございません。
あるのは当夜の至福感の記憶のみ。
一番キタのが「佐久乃花」だったような記憶がなんとなく。
でもやっぱりドメーヌソガのインパクトが最大でした。
へろへろに酔っ払った後に残るのは、味よりもインパクトなのか・・・。
(いやだからといってドメーヌソガの味が、まあまあだったとかそんなことはありません!断じて!!)
蔦なんか絡まっちゃったりして。
「わぁ~素敵な建物だ。きっと相当古いんだろう。」
そういった建物は、町並みの美観のために保護されているものも多く、
建物前に説明板が立っていたりするものです。
その説明を読んで、我々は、それが例えば大正時代の建築であったことを知ったりするわけです。
もう100年近くそこに存在している
その事実だけで、その建築が尊いものに感じられても来ます。
そんなあなたが安曇野に来ました。
今日はいい天気、北アルプスがよく見える。
そしてカメラを取り出し、ファインダーを覗き込むと、
どうしても気になるのが送電線。
「まったく送電線というのはどうしようもない。
これじゃ景観が台無しじゃないか」
と、あなたは憤慨します。
怒るのももっともです。
そして憤慨しているのは、もちろんあなた一人というわけでもない。
憤慨されるなんてのはまだいいほうかもしれません。
中にはなんとなく記念写真をとって、帰ってから現像しても、
仲良しグループの背後に写っている鉄塔になんて全く気づかない。
天気がよくて、山が見えて楽しかったね、と思い出話に花を咲かせるのみ。
※
雄大な北アルプスを背景に、今日も誰に気づかれることなく、黙々と電力を搬送しています。
そう、80年以上前の大正12年からずっと。
グロテスクで景観を害する存在だったはずのコンビナート群を、むしろ積極的に鑑賞の対象としようではないかという動きが、この本をきっかけに始まっているとも聞きます。
とても納得できる話です。醜悪の判断の前に、まず目の前にあるものを受け入れる、そういう文化的土壌が成熟しつつあることは、とてもうれしいことです。
そのような昨今の情勢をいいことに、調子に乗ってカミングアウトしちゃいます。
実はワタクシ
「鉄塔萌え」
なんです。
ワタクシの父は、電線メーカーで定年まで勤め上げた理系の技術人であります。
そのムスコたるワタクシは、父の願いに反して文化的な方向に突っ走り、せめて公務員、せめて銀行員、せめて大手企業の営業だか事務だかという、父の切ない願いの数々の妥協すら突破して、現在あろうことか広い意味での水商売系の仕事をしているわけでありますが、やはり血は受け継がれていたのでしょう。工場のプラントやコンビナートなどのメカニカルなものには、ついつい惹かれてしまうようになったのでした。もちろん、「造形の美しさ」という極めて文化的な観点からではありますが。
なかでもお気に入りは、あろうことか「送電線鉄塔」なのです。
コンビナートはまだ夜の照明がきらびやかで、時にロマンチックにさえ見えたりもする物件なのですが、送電線鉄塔たるや、やれ電磁波被害だのやれ景観破壊だの、我々の生活を成り立たせていく観点からいうと、非常に重要なものにもかかわらず、散々な言われようをしています(しかも悉くそれが理にかなっている)。
そんな損な立場でありながら、彼らはじっと毎日視界の外で、我々の生活を支えてくれているのです。
こんな不器用な健さん,あるいは黒岩五郎(ほたるぅ~)のような存在に、どうして愛情を感じずにいられますでしょうか。
・・・なんていうのは今だから思うことでありまして、そもそもの発端は鉄塔に対する「恐怖心」から。
ある日、父は幼きワタクシを抱いて、親戚の住んでいた多摩ニュータウンの公園に聳え立つ鉄塔の近くに散歩に行きました。私の怖がり方が面白かったのでしょう、父はわざと鉄塔のほんのすぐ近くまで寄って、ワタクシを怖がらせて遊んでおりました。
そんな
怖いのでなるべく見ないように過ごしているつもりなのですが、怖いので、でもやっぱり気になってチラチラ見てしまう。チラチラみているうちに、あれ、この鉄塔はなんか違うぞ、あれ、この鉄塔は取り付け金具の形が面白いぞ、あれ、この鉄塔は変に高いぞ、と思うようになって、気になったものは写真を撮ったりしつつ、それでもまだ「鉄塔は怖い」と思い続けて四半世紀。
そんな時、突如「IT革命」がワタクシのトラウマに終止符を打ってくれたのでした。
五年ほど前、なにげなく「鉄塔」をキーワードに検索してみると、あるわあるわ。
鉄塔好きな方のサイト。
ただ現在ではネット上でのブームはすでに終わってしまっているらしく、一時期盛況を誇っていた「送電鉄塔ウェブリンク」も、もう機能していないようです。「工場萌え」のように、一般的静かなブームにすら脱皮できなかったということでしょうか。
そんな今だからこそ、あえてカミングアウトしてみるのです。
ブームは終わったかもしれないし、あるいはブームにすらなっていなかったのかもしれないけれど、でも鉄塔鑑賞という趣味が廃れていない証拠に、探してみると、まだまだ質のよいwebサイトを見つけることができます。最近では本を書かれた方もいらっしゃるようです。
そんなわけで、これから鉄塔画像や優良鉄塔サイトなどもバシバシ御紹介いたしますので、みなさんもついてきてね!
・・・あ、周りを見渡したら、もう誰もいない・・・。
いいさ、一人でやるさ。
PCをかまうワタクシの背後で、ボボボと怪しい音を立てる物体・・・。
先日この冬最後の灯油を注入し、そしてそれを今まさに燃やし尽くさんとしている、我らがトヨトミ火鉢型石油ストーブの、春を告げる断末魔の叫びなのであります。
いやはや、一冬よくがんばってくださいました。
「二兎を追うもの一兎をも得ず」とか、「暖房器具として買ったはずなのに・・・」とか、以前の記事で散々な言われようだった(言ってやったのはもちろんこのワタクシですが)彼でしたが、でもこの3月末現在、我が家にはもう無くてはならない存在になっています。
ただ正直言って、彼だけでは我が家の暖房をまかないきれるはずも無く、別にカーボンヒーターや、PCに向かっているときの足元用に、ミニ電気カーペットなども購入してしまったのは事実。
でもやはりトヨトミ君は、我が家のメイン熱源であったと、振り返ってみてそう思わずにはいられません。
ところで
トヨトミ君の功績が控えめだったせいで明らかになったのが、人間の「慣れ」の無限の可能性でした。
仕事の都合上(水商売だもので)朝は遅いのですが、それでも朝9時の時点で室内気温がマイナス3度とかになって、トヨトミ君をフル稼働させても出勤時刻までに気温7-8度に持って行くのがせいぜい。
でも慣れるんです。
年末年始に湘南の実家に帰省したときなんぞ、「ふぁんひーたー」とか「えあこん」なる南蛮渡来の仕掛けで、摂氏16度とか18度とか、ふざけた温度表示見て、「暑いわい」なんてカマすほどの余裕が出来てきてしまうんです。
でも室内気温だけに頼っていたのでは、室内気温平均10度以下の冬を快適に過ごせたはずもありませんでした。
厚着をし、身体が冷えてきたらラジオ体操をし、茶や般若湯を注入し、そんな身体全体を暖める万全の態勢で望んだからこその、「慣れ」という勝利の獲得であったと思っています。
休日の気温の低い午前中は、ぬくぬくとした布団の中で本を読みながらゴロゴロし続けるなんていう、筆舌に尽くしがたい辛酸をなめたなんていうのも、今となっては良い思い出です。
でも寒い松本の冬を、こんな感じで乗り切れてしまうんですもの。人類はもっと省エネで生きていくこともできるはずですよね。地球温暖化なんてことを本気で気にするのであれば、オフィスの暖房温度を1℃2℃なんていわずに、5℃10℃くらい下げてこそ、「本気」に「マジ」っていうルビをふることもできるというものです。
なんのこっちゃ。
蔵に挟まれた路地。
車が駐められており、その向こうは鎖でとおせんぼ。
いかにも私道です、という風体の路地。
でもその奥にはナニカある。
そう直感して、他人の家の敷地に入り込むという、半分後ろめたさを感じながら(思えば路地に惹かれだして以来、こんな経験ばっかりだ。)鎖をまたぐと、その奥は小さな公園でした。
ブランコがあり、滑り台があり、砂場があり、鳥居がある。
鳥居・・・?
そう、そこに忽然と現れたのは神社。
蔵と蔵に挟まれ、別の通りからは背の高いマンションに目隠しされた、時間の止まった一角。
この路地の入り口と出口、それぞれが面している通りは、実はワタクシの通勤ルートであり、もう一年近く毎日通っていながら、この路地の存在に気づいたのは、この画像を撮影するほんの三日ほど前。そして短い路地だからとタカをくくって、軽い気持ちで入り込んでみると、想像もしなかったものが待っていたのでした。
ほんの50m程度の短い路地なのに、たんなる通路にとどまらず、こんな「世界」を内包していたことに、なんだかとても、なんていうのかな、変な言い方だけど、「ありがたい」気持ちになったのです。
路地に入り込んで、撮影をして、出てくるまでに5分くらい。素通りだったら1分くらいの路地で、ワタクシが経験したことは、まぎれもなく「旅」だったと思っています。