葡萄畑の傍に庵を結び、日々徒然なるまま
このブログのシステムもよく理解できぬまま、
勢いで始めてしまったブログ。
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トヨトミ火鉢型石油ストーブ性能試験
Phase 1 : 1ℓの水を沸騰させるまでの時間
試験環境 室温9℃ 外気温、多分4~5℃
結果 トヨトミ・・・13分30秒
ガスレンジ・・・6分30秒
えっとー、完敗ですね、秀吉公。
だけどこれで学んだこと。
たとえば煮込みを作るとき、沸騰させるまではガスレンジで、その後は藤吉郎に任せると、ガス代の節約になるのではないかと。
あと急ぎでなければ、たとえば休日に部屋の中でマヌケ面して、エロサイト このブログにでも向かいながら茶を沸かすときなどにも良いのではないか、と、考えると良いではないか。
よいではないかよいではないか。
次回(いったいいつだ?)Phase 2ではいよいよ暖房効果の試験でもして見ましょうか。
Phase 1 : 1ℓの水を沸騰させるまでの時間
試験環境 室温9℃ 外気温、多分4~5℃
結果 トヨトミ・・・13分30秒
ガスレンジ・・・6分30秒
えっとー、完敗ですね、秀吉公。
だけどこれで学んだこと。
たとえば煮込みを作るとき、沸騰させるまではガスレンジで、その後は藤吉郎に任せると、ガス代の節約になるのではないかと。
あと急ぎでなければ、たとえば休日に部屋の中でマヌケ面して、
よいではないかよいではないか。
次回(いったいいつだ?)Phase 2ではいよいよ暖房効果の試験でもして見ましょうか。
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だんだんと冷えが厳しくなってくる松本。
そして暖房器具の一切ない我が家・・・。
前に住んでいた白馬のアパートは暖房つきだったので、持ってなかったのですよ。
で、本日(11/26)購入。
以前から気になっていたトヨトミの「火鉢型石油ストーブ」
上にナベなど載せて煮炊きができるのが自慢。
本日早速買ってきたトリガラを煮込んでみました。調理器具としてはいい感じ。おまけに暖房にもなるので一石二鳥・・・え?逆じゃないかって?暖房として買ってきたはずじゃ・・・。
えー、こういうことです。
上のほうに火が出る構造で、だからナベ乗っけるといい感じなんですが、当然熱気は全部上に行く、つまり天井に熱気がたまり、下のほうはほんのり暖かく、足元冷え冷え。
一石二鳥、二兎を追うもの一兎をも得ず・・・。
ま、前向きな前者を採用して、すべての理屈をつけてしまおうと。
冒険家の石川直樹さんの著書の題名にもあります。
「すべての装備を知恵に置き換えること」
そ、足りない分は知恵で補う。たとえば優れた調理性能を利用して、煮込み料理をばんばん作って、食って、身体を温めるとか。
あとはこれから、こいつとの付き合い方をいろいろ考えてゆきます。
ま、スイッチポンであとはなにも考える必要のない暖房機よりも面白いと思うよ、いやマジで。
そういや しばらく更新してなかったな。
本日は21日、あいや、日付変わって22日。
この10日間にわたって起こったことの中からとりあえず一題。
「仏像」
またかよ、と感じた貴方。今度は違うぞ。
何が違うって、寺の台座から剥がされて、美術館に持って来られた仏像たちを見に行ったのだ。
前の週に相方が見て、いいよーすごかったよーの話を聞いて行って見たくなったのだが、いざ入り口で入場料壱千円也と聞いて、え?やっぱいいや、いいかもべつに・・・なんて思っていたところに、「とりあえず見ろ」との相方の声と資金援助を受け、いざ突入。
で、どこの美術館かって?
そりゃ松本市美術館だよ。
通りの並びのファミレス「CoCo’s」から出る残飯を養分にして、ゆくゆくは美術館を覆いつくそうとばかりに成長しているかのように見える、あの草間弥生のクネクネオブジェを前庭に配す、松本市美術館ですよ。
「百柱を立てる」と題したこの展覧会。
千住博(せんじゅひろし)という日本画家の方の、「滝」の絵をバックに、松本平(遠くは大町あたり)から、お寺のお堂深く、または民間の辻のお堂のような場所にある、有名無名の仏像たちが展示されているのです。
まあぶっちゃけただ仏像が展示されているだけ、といってしまえばそこまで。
なんですが、それだけの展示で、小生、不覚にも涙をしてしまったのです。
塩尻の方に「牛伏寺」というお寺があります。
そこからの出展、「十王像」。
「十王」って聞いても、無学なためよくわからなかったんですが、要は閻魔大王さんをボスと仰ぐ、地獄の裁判官集団(なんかこういう風に書くとKISSのアルバムタイトルみたい)のことだそう。
しかも展示のレイアウト的に、角を曲がったらいきなりこの十王さんたちと向かい合うようになっている。
つまり、いきなり無実の罪で法廷に引きずり出されるようなもんですね。もちろん、無実だと思っているのは自分だけなんですが。
しかもこれらの室町時代生まれとされている木像の十王様たち、すさまじいばかりの写実主義というか、もう、生きた人間にしか見えないんですね。
お雛様のように3段の台に並べられた十王様たち。
もちろん予備知識はなかったんですが、最上段の真ん中に座っておられるお方の、なんだか見覚えのある帽子を見たとたん、説明文など読まなくとも、彼らがなにを生業としているのかがわかってしまったのでした。
その一番上座におわすお方こそ、かの有名な閻魔大王様。
俺の世界では「残忍」は悪徳ではなく美徳なんだ、と言っているかのように豪快に笑っていらっしゃいます。もう、何を言っても取り付く島がなさそう。
とりあえずその他の面々で、なんとか話がわかりそうな人を探してみる。
快活に笑ってらっしゃる中段左端のお方はどうか?・・・だめだ。あの笑いは座の雰囲気を楽しんでいる笑いで、情けなんて一切なさそうだ。彼の目の前まで行ってみたが、彼は僕なんて全く見ちゃいないことがわかっただけだった。
その隣の理知的で冷静な感じの彼は・・・?これもだめだ。「私は法に従って裁いておる、神妙にせい」といわれてしまっただけ。今思い出しても、彼の持つ冷静な雰囲気が一番恐ろしかったと思っている。
下段左端のお方は、猛烈に怒りまくって、僕の生まれてからここまでの悪徳を断罪している。もうごめんなさいという以外になんとも仕様がない。
ふと下段右端からの視線が気になってみてみる。
彼は困っていた。彼は本当は、あんな大変な地獄のようなところに人間を送り込むことなど好んでいないように見えた。なのに目の前に引き出されたこいつ(僕のこと)ときたら、地獄から救い出してやろうにも、プラス評価する材料がなにもない、これじゃあ地獄にやるよりいた仕方あるまい。なあ、なんでお前はそんな人生を送ってきちまったんだ・・・と恨めしい感じで問い詰められているかのようだ。本当に、目も眉も口も、顔中の筋肉までもが「ヘ」の字に曲がって、悲しみと怒りと諦めと、そして生来の優しさとが複雑に交じり合った、なんともいえない表情で僕をねめつけている。
この下段右端の爺さんに気づいたとたん、僕の目からはぽろぽろと水滴が・・・。
彼ら十王たちが怖かったのもある、だけどそれ以上になんだか自分が情けなく思ってね。
でもふと顔を上げて再び閻魔様を見やると、ちょっと印象が違って見えた。ちょっと優しく見えたのだ。
「いまお前を裁くには資料が不足している。もうちょっと生きて、たっぷり悪いことをしてからまたおいで」
彼は僕に確かにこう言ったのだ。
でも十王様たちの前にいきなり引きずり出された感じに思えたけれど、よくよく考えればちゃんと予告はされていたんだよね。だって直前の展示が奪衣婆なんですから。(これも超写実的)
いたたまれなくなってそそくさとその場を後にすると、続くは観音様ワールド!
観音様だけでなく、弥勒さまとかもいらっしゃるんだけど、もうそこは救い、癒しの世界。
八頭身美人の(ほんとに美人だ)金色に輝く観音様など、もう足元にすがりつきたくなるくらい。
別室の会場にいくと、今度は小川村の山の中に篭って生涯に一万点以上の木像を彫り続けた「木食山居」の手になる木像群。人々の生活や想いや考え方(敢えて思想なんて言葉は使わない)と宗教とが、ここでは本当に無理なく自然に融合している。
他にも廃仏毀釈で腹部は焼かれ、頭部が落とされた仏像や、見つめているうちに静謐な無我の世界にいざなってくれそうな地蔵菩薩像など、枚挙に暇がない。いちいち感想を述べだすときりがないのでこのあたりにしておきます。
本日は21日、あいや、日付変わって22日。
この10日間にわたって起こったことの中からとりあえず一題。
「仏像」
またかよ、と感じた貴方。今度は違うぞ。
何が違うって、寺の台座から剥がされて、美術館に持って来られた仏像たちを見に行ったのだ。
前の週に相方が見て、いいよーすごかったよーの話を聞いて行って見たくなったのだが、いざ入り口で入場料壱千円也と聞いて、え?やっぱいいや、いいかもべつに・・・なんて思っていたところに、「とりあえず見ろ」との相方の声と資金援助を受け、いざ突入。
で、どこの美術館かって?
そりゃ松本市美術館だよ。
通りの並びのファミレス「CoCo’s」から出る残飯を養分にして、ゆくゆくは美術館を覆いつくそうとばかりに成長しているかのように見える、あの草間弥生のクネクネオブジェを前庭に配す、松本市美術館ですよ。
「百柱を立てる」と題したこの展覧会。
千住博(せんじゅひろし)という日本画家の方の、「滝」の絵をバックに、松本平(遠くは大町あたり)から、お寺のお堂深く、または民間の辻のお堂のような場所にある、有名無名の仏像たちが展示されているのです。
まあぶっちゃけただ仏像が展示されているだけ、といってしまえばそこまで。
なんですが、それだけの展示で、小生、不覚にも涙をしてしまったのです。
塩尻の方に「牛伏寺」というお寺があります。
そこからの出展、「十王像」。
「十王」って聞いても、無学なためよくわからなかったんですが、要は閻魔大王さんをボスと仰ぐ、地獄の裁判官集団(なんかこういう風に書くとKISSのアルバムタイトルみたい)のことだそう。
しかも展示のレイアウト的に、角を曲がったらいきなりこの十王さんたちと向かい合うようになっている。
つまり、いきなり無実の罪で法廷に引きずり出されるようなもんですね。もちろん、無実だと思っているのは自分だけなんですが。
しかもこれらの室町時代生まれとされている木像の十王様たち、すさまじいばかりの写実主義というか、もう、生きた人間にしか見えないんですね。
お雛様のように3段の台に並べられた十王様たち。
もちろん予備知識はなかったんですが、最上段の真ん中に座っておられるお方の、なんだか見覚えのある帽子を見たとたん、説明文など読まなくとも、彼らがなにを生業としているのかがわかってしまったのでした。
その一番上座におわすお方こそ、かの有名な閻魔大王様。
俺の世界では「残忍」は悪徳ではなく美徳なんだ、と言っているかのように豪快に笑っていらっしゃいます。もう、何を言っても取り付く島がなさそう。
とりあえずその他の面々で、なんとか話がわかりそうな人を探してみる。
快活に笑ってらっしゃる中段左端のお方はどうか?・・・だめだ。あの笑いは座の雰囲気を楽しんでいる笑いで、情けなんて一切なさそうだ。彼の目の前まで行ってみたが、彼は僕なんて全く見ちゃいないことがわかっただけだった。
その隣の理知的で冷静な感じの彼は・・・?これもだめだ。「私は法に従って裁いておる、神妙にせい」といわれてしまっただけ。今思い出しても、彼の持つ冷静な雰囲気が一番恐ろしかったと思っている。
下段左端のお方は、猛烈に怒りまくって、僕の生まれてからここまでの悪徳を断罪している。もうごめんなさいという以外になんとも仕様がない。
ふと下段右端からの視線が気になってみてみる。
彼は困っていた。彼は本当は、あんな大変な地獄のようなところに人間を送り込むことなど好んでいないように見えた。なのに目の前に引き出されたこいつ(僕のこと)ときたら、地獄から救い出してやろうにも、プラス評価する材料がなにもない、これじゃあ地獄にやるよりいた仕方あるまい。なあ、なんでお前はそんな人生を送ってきちまったんだ・・・と恨めしい感じで問い詰められているかのようだ。本当に、目も眉も口も、顔中の筋肉までもが「ヘ」の字に曲がって、悲しみと怒りと諦めと、そして生来の優しさとが複雑に交じり合った、なんともいえない表情で僕をねめつけている。
この下段右端の爺さんに気づいたとたん、僕の目からはぽろぽろと水滴が・・・。
彼ら十王たちが怖かったのもある、だけどそれ以上になんだか自分が情けなく思ってね。
でもふと顔を上げて再び閻魔様を見やると、ちょっと印象が違って見えた。ちょっと優しく見えたのだ。
「いまお前を裁くには資料が不足している。もうちょっと生きて、たっぷり悪いことをしてからまたおいで」
彼は僕に確かにこう言ったのだ。
でも十王様たちの前にいきなり引きずり出された感じに思えたけれど、よくよく考えればちゃんと予告はされていたんだよね。だって直前の展示が奪衣婆なんですから。(これも超写実的)
いたたまれなくなってそそくさとその場を後にすると、続くは観音様ワールド!
観音様だけでなく、弥勒さまとかもいらっしゃるんだけど、もうそこは救い、癒しの世界。
八頭身美人の(ほんとに美人だ)金色に輝く観音様など、もう足元にすがりつきたくなるくらい。
別室の会場にいくと、今度は小川村の山の中に篭って生涯に一万点以上の木像を彫り続けた「木食山居」の手になる木像群。人々の生活や想いや考え方(敢えて思想なんて言葉は使わない)と宗教とが、ここでは本当に無理なく自然に融合している。
他にも廃仏毀釈で腹部は焼かれ、頭部が落とされた仏像や、見つめているうちに静謐な無我の世界にいざなってくれそうな地蔵菩薩像など、枚挙に暇がない。いちいち感想を述べだすときりがないのでこのあたりにしておきます。
特に書くこともないな。
ま、別に無理して書くこともないんだけどね。
子供の頃、日記をつけていたんだけど、多分に親から強制されたもので、
たまにサボって書かないと、何日か記憶をたどって書かなければいけなかったのが面倒くさかったし、
なによりも義務感が出てくるとだめなんだよ。
義務を果たすってのがキライでさ・・・(←人間のクズ)
ま、でもせっかくブログを始めて、なんとなく、
なんか記事にしたいなって気はあるのよ。
えっと~。
あ、じゃあ、とりあえずプロフィール画像についてでも書いてみようか
「白馬大仏」というのが彼(↑)の名前です。
建立された正確な年代は不明ですが、おそらく昭和時代後期の作だと思われます。
「白馬大仏」といっても、長野県北安曇郡白馬村にあるわけではありません。
それどころか長野県にすらありません。新潟県にあるのです。ギリギリ新潟県です。「川」の向こうは長野県。そんな場所に彼はいます。そしてその「川」が、彼を数奇な運命に導くのです。
彼は道の傍に端座しています。その道は信州と越後を結ぶ数少ない街道のひとつで、148のNOを付されていました。
彼の前を流れる川は「姫川」といって、日本では珍しい、平地の湧き水を源流とする川です。
この、福寿草やかたくりや、水の中に咲く梅花藻(ばいかも)に彩られた源流を発した川は、白馬村内をゆったりと下り、まさに「姫」の名にふさわしい、たおやかな表情を見せます。・・・最初のうちは。
やがて五竜岳から流れ下る「平川」、白馬大雪渓に源を発する「松川」が合するあたりから谷も狭まり、渓谷と化していきます。
そこから先の様子はまるで、生まれの良い姫が悪い人々に囲まれて没落し、あばずれてゆくかのようです。
あばずれた姫は暴力的になり、やがては渓谷の淵を思うがままに削り取りながらうねうねと駆け下ります。
右や左の急斜面からは「悪い友達」たる沢たちが、雨のたびに大量の泥水を注ぎ込み、姫をさらに悪の道へと走らせます。
そして事件が起きるのです。
ある大雨が続いた後、姫は西の急斜面と結託して、とんでもないことを起こすのです。
荒れ狂った姫は、川沿いに伸びる鉄道「大糸線」の橋梁を破壊し、中流域のささやかな温泉「姫川温泉」「蒲原温泉」「猫鼻温泉」を破壊し、さらに姫と結託した西側の急斜面は、土石流によって川沿いの国道までも決定的に破壊してしまいます。
この破壊された国道こそが、彼の脇を通る「国道148号線」だったわけです。
ただ、この事件においては幸いなことに、彼も、彼が見守る「白馬温泉」も無事でした。
しかし、彼が守護する「白馬温泉」に引導を渡したのは、自然災害そのものではなく、むしろ自然災害に打ち克とうとする熱意ある人間と、その技術だったことは皮肉でした。
この事件の後、国道の流失部分をバイパスするように長大トンネルが掘られ、白馬温泉はそのルートから外れます。
白馬温泉沿いの旧国道も、やがて国道指定から外れるどころか流失部分の修復さえなされず、単なる国道の、袋小路のわき道と化してしまいます。
白馬温泉の観光の目玉として建立されたであろう彼でしたが、人の流れが絶たれた温泉場に対してできることとは、その行く末を見守ることしかできなかったのです。
そんなわけで、彼は今、廃墟か、廃墟寸前と化した建物たちに囲まれて、静かに川を見下ろしています。
「白馬大仏」とググってみると、それなりの記事につきあたります。彼を揶揄するような論調もあります。
たしかに全体のつくりの安っぽさ、顔の表情のユーモラスさ、脳天から突き出たチャームポイントの避雷針、そして周囲の寂れ具合、どれをとっても笑いのネタにしかなりません。
しかし彼の見てきた激しい自然災害と、その後の変転に目を閉じて思いをはせるとき、彼の白い巨躯は光り輝く存在に感じられます。さまざまな矛盾や不条理を超越した存在に思えてくるのです。
もう仏教とかなんだとか、そんなもの関係なしに、ただ感じるのは「愛」のみ。
もちろん目をあけてまじまじと見れば、やっぱり笑えてくるのですが。
でも大好きなんです。
彼に会いに行くには、桜の時期をおすすめします。
大糸線の「平岩」駅のホームから見上げる彼は、満開の桜に囲まれて幸せそうです。
ま、別に無理して書くこともないんだけどね。
子供の頃、日記をつけていたんだけど、多分に親から強制されたもので、
たまにサボって書かないと、何日か記憶をたどって書かなければいけなかったのが面倒くさかったし、
なによりも義務感が出てくるとだめなんだよ。
義務を果たすってのがキライでさ・・・(←人間のクズ)
ま、でもせっかくブログを始めて、なんとなく、
なんか記事にしたいなって気はあるのよ。
えっと~。
あ、じゃあ、とりあえずプロフィール画像についてでも書いてみようか
「白馬大仏」というのが彼(↑)の名前です。
建立された正確な年代は不明ですが、おそらく昭和時代後期の作だと思われます。
「白馬大仏」といっても、長野県北安曇郡白馬村にあるわけではありません。
それどころか長野県にすらありません。新潟県にあるのです。ギリギリ新潟県です。「川」の向こうは長野県。そんな場所に彼はいます。そしてその「川」が、彼を数奇な運命に導くのです。
彼は道の傍に端座しています。その道は信州と越後を結ぶ数少ない街道のひとつで、148のNOを付されていました。
彼の前を流れる川は「姫川」といって、日本では珍しい、平地の湧き水を源流とする川です。
この、福寿草やかたくりや、水の中に咲く梅花藻(ばいかも)に彩られた源流を発した川は、白馬村内をゆったりと下り、まさに「姫」の名にふさわしい、たおやかな表情を見せます。・・・最初のうちは。
やがて五竜岳から流れ下る「平川」、白馬大雪渓に源を発する「松川」が合するあたりから谷も狭まり、渓谷と化していきます。
そこから先の様子はまるで、生まれの良い姫が悪い人々に囲まれて没落し、あばずれてゆくかのようです。
あばずれた姫は暴力的になり、やがては渓谷の淵を思うがままに削り取りながらうねうねと駆け下ります。
右や左の急斜面からは「悪い友達」たる沢たちが、雨のたびに大量の泥水を注ぎ込み、姫をさらに悪の道へと走らせます。
そして事件が起きるのです。
ある大雨が続いた後、姫は西の急斜面と結託して、とんでもないことを起こすのです。
荒れ狂った姫は、川沿いに伸びる鉄道「大糸線」の橋梁を破壊し、中流域のささやかな温泉「姫川温泉」「蒲原温泉」「猫鼻温泉」を破壊し、さらに姫と結託した西側の急斜面は、土石流によって川沿いの国道までも決定的に破壊してしまいます。
この破壊された国道こそが、彼の脇を通る「国道148号線」だったわけです。
ただ、この事件においては幸いなことに、彼も、彼が見守る「白馬温泉」も無事でした。
しかし、彼が守護する「白馬温泉」に引導を渡したのは、自然災害そのものではなく、むしろ自然災害に打ち克とうとする熱意ある人間と、その技術だったことは皮肉でした。
この事件の後、国道の流失部分をバイパスするように長大トンネルが掘られ、白馬温泉はそのルートから外れます。
白馬温泉沿いの旧国道も、やがて国道指定から外れるどころか流失部分の修復さえなされず、単なる国道の、袋小路のわき道と化してしまいます。
白馬温泉の観光の目玉として建立されたであろう彼でしたが、人の流れが絶たれた温泉場に対してできることとは、その行く末を見守ることしかできなかったのです。
そんなわけで、彼は今、廃墟か、廃墟寸前と化した建物たちに囲まれて、静かに川を見下ろしています。
「白馬大仏」とググってみると、それなりの記事につきあたります。彼を揶揄するような論調もあります。
たしかに全体のつくりの安っぽさ、顔の表情のユーモラスさ、脳天から突き出たチャームポイントの避雷針、そして周囲の寂れ具合、どれをとっても笑いのネタにしかなりません。
しかし彼の見てきた激しい自然災害と、その後の変転に目を閉じて思いをはせるとき、彼の白い巨躯は光り輝く存在に感じられます。さまざまな矛盾や不条理を超越した存在に思えてくるのです。
もう仏教とかなんだとか、そんなもの関係なしに、ただ感じるのは「愛」のみ。
もちろん目をあけてまじまじと見れば、やっぱり笑えてくるのですが。
でも大好きなんです。
彼に会いに行くには、桜の時期をおすすめします。
大糸線の「平岩」駅のホームから見上げる彼は、満開の桜に囲まれて幸せそうです。