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旧き友 絆は常に新たなり
山岳(やま)に要を託し居たれば
五月ごろの話
お一人でいらしたお客様とお話をさせていただきました。
腰も曲がらず、実に「かくしゃく」という言葉が似合う、90歳の男性でした。
宿泊者数も少なくとてもヒマな日でしたので、彼の昔語りに長々とお付き合いできたのは、今思えばとても幸運でした。
戦前の話
丹沢の大山から東京まで、全国から選抜された選手によるマラソン大会に出場した経験。
ゴール地点の明治神宮にたどり着くと、壇上には名誉の負傷をした英雄たる戦傷軍人たちが居並び、その中央には天皇陛下がいらしたそうです。
当時の一般的日本人にとって、天皇陛下をナマで見られることがどれほどのことであったか、それを考えると、このイベントがどれだけ重要なものであったかが分かろうかというものです。
そんな大会の選手に選抜された理由は、彼が飛びぬけて身体壮健だったからなのでしょう。
その彼の健康の源であり続けたのは、山。
今のように交通機関も、コース整備も十分ではなかったころの登山。
頼りは己の力と仲間の信頼のみ。
ザイル・ハーケン・カラビナ・・・そんな信頼を繋ぐ道具の名前が、いちばん輝いていた時代だったのでしょう。
話が終わると、彼はひとつの道具をワタクシの手に載せました。
カラビナでした。
「ムカシの友達のものだよ、もう何十年前のものだろうね」
ワタクシはその使い込まれた金属の光沢に、吸い込まれそうになりながらしばし見入った後、それを彼に返そうとしました。すると彼は・・・。
「それはアナタに差し上げます」
え?お友達の大事な品なのに・・・?
「もう ここに来るのはこれが最後かもしれない。だから、こいつを山に返しに来たんだよ・・・。」
以来、このカラビナは事務所の壁にかかっています。
このままここにいるか、いずれ穂高の壁にでも置いてくるか、もうすこしこのカラビナとじっくり話をしてから決めたいと思っています。
本体には「EVER NEW PRODUCTS」と刻印されています。
「エバニュー」・・・大正時代創業、今でも活躍中のスポーツ用品メーカーです。
字面、およびカタカナにして発音したときの語感共に、とても洒落たブランド名だと思います。
一位なる雲上に座すお方より 下し賜る 一朱なるかな
上高地ではよく見かけるイチイの木。
秋につける赤い実は、上高地のおサルさんの大好物です。
いえいえ、ニンゲン様だって食べられるんですよ。甘くて美味しいんです。
信濃笹の藪をかき分けた、木の根もとの奥座敷に、「どうぞ」という感じで、枯葉のお皿にちょこんと盛り付けられた実を発見しました。
そんなイチイの木、漢字では「一位」と書きますが、これはその昔、高官の笏(聖徳太子が持ってるおしゃもじですね)を作るのにこの木が使われていたことに由来する、という説があるのだとか。
なるほど、そんな高貴なお方よりのご馳走なのですな、これは。ありがたやありがたや。
実の朱色も、なにやら金を連想させてありがたさ倍増ではありませんか。
それにしても
はて、二朱金とは聞いたことがあるのですが、一朱金とはこれいかに。
実は二朱があるなら一朱もあったのだろうと、かなりいい加減な推測で詠んでみたのですが、やっぱり不安になったので、「一朱 検索」ってな塩梅で調べてみました。
どうやら存在したことはあるそうで、ほっと一安心なのですが、その実情たるや・・・。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E6%9C%B1%E9%87%91
一位は周りの赤は甘いのですがが、種は毒だといいます。
しかも一朱金とは上記のようにヒドイ代物。
もしかしたら、果肉の甘さに惑わされて、下し賜ったなどと浮かれている場合ではないのかもしれぬ。
となると真実はおそらく以下の如くでありましょう。
一位なる殿のお袖の下からか こぼれ落ちたる こがねの一朱
悪銭身につかずと申します。
どうやら邪な手段で手に入れて、しかもたらふく溜め込んだのでありましょう、一位のお大臣さまの袖のしたから零れ落ちたものは、間違うかたなく、鐚銭扱いの一朱金。
さてさて、お大臣様とどこぞの悪徳商人との癒着の動かぬ物証を手に入れましたワタクシ、このさきどうするべきでありましょうか。やはり東京地検特捜部にでも告発いたしましょうか・・・?
なになに、江戸時代の贈収賄は、すでに時効にかかっております・・・ですと?
・・・かように秋の夜長は妄想で更けていくのであります。
葉のみどり 太陽のいろ
加うるに 嵐のいろを 混ぜて秋色
昨日はものすごい嵐でした。
おそらく本州は全て強風が吹き荒れていたとは思いますが。
そもそも気圧配置がタダゴトではなかったですからね。
たとえばぐっすり寝込んでいて、突然「寝坊した!」と思って目が覚める、あわてて服を着ているうちに寝ぼけが覚めてきて、改めて時計を見ると、まだ寝てから1時間と経っていなかったりする。そんな経験ありませんか?
いや、唐突に変なたとえ話を出しましたが、今回の嵐、シベリア駐屯の冬将軍様(半島の将軍様に非ず)が、まさに上記の状態で出撃してしまったような、そんな気がするのです。
この嵐で、近くにある目通し1mあるかないかぐらいの大木が、夜のうちにぽっきり折れてしまいました。
そんな強風を画像に収めようと遊んでいたら、こんな画像が撮れたのです。
ちょっとだけ画像処理して色合いを調整してありますが、基本的に撮ったままのものです。
だけどなんだか絵画みたいな、面白い感じになりました。
この嵐が過ぎると、風景は急速に秋への衣替えに移っていくのでしょう。
景勝地の秋の紅葉。
特に上高地のそれは素晴らしいものがありますが、もちろん一朝一夕に出来上がるわけではありません。
寒い冬をじっくり乗り越えた冬芽が、あのうっとりとするような萌黄色の新芽を吹いて、残雪の白と共に春の景色を作り上げ、さんさんと降り注ぐ太陽は、その緑色をどんどん濃くしてゆき、最後は次の世代への木々の想いが、景色を赤や黄色に染め上げるのです。
それはさながら画家が、パレットにいろんな種類の絵の具を溶いて、ひとつの色を作り上げるかのようです。
そしてその色には、「嵐色」という、今まで知らなかった色が、かくし味のように使われていることを、このときワタクシは発見したのでした。
さて、2つ前の記事に関して。
40匹のうちまだ26匹の里親が見つかっていないそうです。(MARさんのブログ及びよしさんのHPより)
でも日本にはこのような境遇の動物たちが、26匹どころでなくいるのです。
繰り返します。これから動物を飼おうとする方、その動物が天命を全うするころの将来の自分の状態を、もっとも「悲観的に」想像してみて、その上で見捨てない覚悟をしてください。
26匹の犬たちが生きながらえますように。そしてこのような境遇の動物たちが少しでも減っていきますように。
はなびらに あきかぜうけて
くるくると とんでけるかな あのやまこえて
あの山の向こうは涸沢カール。
前回の連休は、テント担いでそこを目指す予定だったのですが、天候を鑑み蝶が岳にルート変更。
しかしそれすらも、台風という厳しい現実の前に中止という決断を下さざるを得なかった無念。
でも思えばまだ涸沢は紅葉直前。
お着替え中なので、まだ見ないで、ということだったのかもしれません。
蝶・常念あたりの稜線からの着替え中の盗撮も、どうやらNGということだったらしいです。
(そもそも蝶のあたりから涸沢を垣間見ることができるのか不明。このあたり行った事がないので、地図を見ながら想像で書いてます。)
というわけで、目下、10月初旬の再挑戦を画策中。これだけは譲れません。たのむよ、天気。
涸沢を見て氏ね
常々ワタクシが申し上げていることでございます。
しかし実際のところ涸沢に行ったら、もはやこれ以上死ぬことはできないのであります。
なぜならそこは天国、極楽なのですから。
さて、次なる挑戦は’ジェイコブズ・ラダー’横尾ルートか、’蜘蛛の糸’パノラマコースか。
さあどういうルートをとるか、今からワクワクなのです。
繰り返し言うけど、ホント頼むよ、天気、今度こそは。
見たくないので隠した心が中秋の名月に照らされている