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遠くまで見ること諦めた理由は
霞んだ空の所為ではないはず
散歩の途中で出会った若猿の目は透き通っていて、その目で一体何を見ていたのだろうと思った。
次に移るべき枝か、仲間の動向か、はたまた別の幹に虫でも見つけたか。
時に零下20度になる上高地の冬は厳しい。
そしてここで冬を越す彼ら猿たちにとって、この季節にどれだけ食物を食べ、体力をつけておけるかということは死活問題だ。死活問題なんていう言葉も生ぬるい、文字通り生き死にの問題なのだ。
でも彼は空を見ていた。きっと。一瞬だけど、食べ物のことを考えるのを忘れていた。
そんな一瞬も、歳を経るごとに減ってゆく。
空を見るよりも、その手前に見える枝や幹が与えてくれる、食物情報の収集が上手になってゆくのだ。きっと。
だから生き残れる。そして生き残るのは生き物としての義務だ。
だから、いい歳して空ばかり見ていてはダメなのだな。
そんなことを思った。
空を見ながら。
いにしえに 誰かがここでそうしたように 夜空に探す七つ星
上高地が賑わった歴史というのは意外に古く、登山や観光で人々に訪れられるようになる大正時代以前の江戸時代には、多くの木材伐りだしの人夫たちが上高地に滞在していたと聞きます。
そんな木こりたちも見上げたであろう、北斗七星。
もちろん江戸時代には、上高地でなくとも全国津々浦々で降るような星空が見られたはずです。だからとりたてて上高地に来たからといって、わざわざ星空を仰いで感嘆するようなこともなかったかとは思うのです。
でもきっと中には変り者がいて、高い山で縁取られた狭い空いっぱいに広がる星空に、なにか特別なモノを感じて吸い込まれてしまう、そんな奴もいたと思うのです。
そいつもきっと、この場所で、源平の合戦の頃には俺と同じくこの星を見上げていた奴がいたに違いない、なんて考えていたに違いありません。
その源平の合戦が行われていた時代の彼もきっと、神代のころには俺と同じで・・・なんて考えていたに違いなく、神代の時代の彼もきっと・・・
とりとめのない思いはいつしか、あの星が光を発した遥か昔に届いてしまうのかもしれません。
その身に幾千の生命溶け込ませ
なほ透きとほるを 清水と云ふのか
上高地といえば河童橋。
その河童橋のすぐそばに清水橋はあります。
橋の下流数十mで本流たる梓川に突き当たり、上流約200mの泉を源流とする清水川が、その下を流れています。大雨の後で本流の梓川がいかに濁流と化していようとも、その水は凛として清澄さを失わないことでも有名です。そしてその清澄さは、なにも含んでいないので透明なのが当たり前な工業用純水とは、あきらかに違うものなのです。
上高地各施設の水道は、この清水川の源流の泉を水源としています。
ちなみに画像は、別にワタクシが印象派の絵画に目覚めたわけでは無論無く、透き通る川を写真で表現したつもりのものです。本当はもうちょっと上手く撮れてるはずだったんだけどなぁ。何がいけなかったのかはなんとなく解るが、じゃあどうすりゃよかったのか、それがわからん。