葡萄畑の傍に庵を結び、日々徒然なるまま
このブログのシステムもよく理解できぬまま、
勢いで始めてしまったブログ。
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発電所 屋根にすすきの輝くは 秋の陽受けてか 電気仕掛けか
徳本峠の旅路も終盤にさしかかったあたりに現れた水力発電所。
山の中にぽつんとある小規模な水力発電所は、なんだか童話的な感じがして好きです。
本当は大規模な工事の果てに、導水トンネルを掘り抜き、水圧鉄管を敷設して、その中を水が流れてタービンを回しているわけなのですが、実際に目にする小さな発電所は、そんなものものしさを感じさせません。
あの建物の中では森の小人さんが、清流の水と落ち葉と太陽の光を大鍋に入れて、くつくつ煮込みながら、鍋の下のハンドルをせっせと回して電気を作っているかのような、そんな気がしてしまいます。
我ながらずいぶんと子供じみた空想ですね。
でも屋根の上にすすきが生えているなんて、山奥の小さな水力発電所でなければありえない風景。
「エコ」という点で多くの人は、風力発電の風車のほうに好ましいイメージを持たれるかと思います。
ダムを造ったり、山の斜面にそって禍々しい(ワタクシはそうは思いませんが)水圧鉄管を敷設して、景観に重大な影響をあたえたりする水力発電は、実は限りある水資源を消費する点からみても、風力発電ほどエコではないのかも知れません。
だけど「環境保護の優等生」的に、眉目秀麗で、酒たばこもやらず、菜食主義そうな風力発電の風車よりも、ワンカップ片手にショートピース咥えて競馬新聞みてるじいちゃん的な山奥の水力発電所のほうが、ワタクシとしましては親しみが持てるわけなのです。
とはいえ、腹の黒さを仕立ての良いスーツと笑顔で隠しおおせていると思い込んでいる、政治家的な原発の建屋に比べると、風力のニイちゃんは全然問題なく友達になれそうなんですが。
要は発電方式にいくらエコエコと言ってみても、使うのは自分。
車に例えるなら、徒歩5分のコンビニに行くのに、3年ごとに買い替えるプリウスに乗って行く人と、60年代のポルシェを大事に大事に週末だけ乗って、普段は徒歩か自転車、そんな人とでは、どちらがエコなのでしょうか。
もちろん本当に必要なときだけ、低燃費車を使うというのが理想なのですが。
大きなダムを乱立させなければ、水力発電だって悪くはありません。
こんなちっちゃな発電所に身の丈を合わせるように生活していきたいな、と思った晩秋の午後なのでした。
夜は暗いほうがいいのです。
地に得たる よろづの力伝えむと ただ イノチガケ 立ちつくし居り
「命がけで突っ立っている死体」という言葉。
言葉だけが耳に残り、どこで聞いたのか、誰の言葉であったのか定かではありませんでした。
わからないものがわからないままで続いていく、そんな状態も心地よくて好きなのですが、この言葉にはそんなユルい哲学(・・・ええ、テツガクですが、なにか?)を許さない緊張感を感じました。
で、追い立てられるように調べてみました。
ただし、最近のTVコマーシャルみたいに「イノチガケ 検索」みたいなお気楽な方法で。
土方巽
日本の芸術界が世界に誇るもののひとつ、暗黒舞踏。
最近はただ単に「舞踏」とのみ言われることの多い、ほぼ全裸、全身白塗りスキンヘッドの、奇妙奇天烈な、踊りというのも憚られる身体表現のことです。
その舞踏の創始者である土方巽の言葉だったのです。
白馬村民であったことのあるワタクシにとって、暗黒舞踏は夏の風物詩でありました。
なぜなら、麿赤兒率いる大駱駝艦という舞踏劇団の公演が、毎年白馬で行われるからです。
ワタクシも一度観にいったことがあります。
ゲテモノを見に行くぐらいの感覚で出かけていったのですが、圧倒されました。
(・・・この先、暗黒舞踏についての想いを書き始めたのですが、どうにもこうにもまとまらず、ただダラダラと長くなっているうちに自分でも論旨がよくわからなくなり始め、もう夜も遅いし、という身体の声に屈して、以下割愛。いずれちゃんと書ければいいな)
ま、閑話休題、いや、この先が閑話である可能性が高いですね。
さて、この鉄塔。
我が家の背後の葡萄畑に満ちた谷の奥に立っています。
重い四導体送電線をしっかり掴み、山の上の仲間に引き継いでいます。
この鉄塔が、前後の仲間と違う点があります。
それは、彼がまっすぐなラインの一部を請け負っているわけではない、という点です。
彼のところで送電ラインは屈曲しています。
ピンと張ったラインの屈曲点を受け持つということは、それだけ水平方向に特殊な力がかかっているということです。その特殊な加重に耐えるため、彼の片腕は長く延長されています。おそらく土台も厳重な補強がされているのでしょう。それに加えて、谷底にいる彼の身体には、垂直方向の加重もかかっているはずです。
このあたりではもっとも過酷な任務についている鉄塔、ということがいえます。
イノチガケ、という言葉が自然に浮かんできたのです。
みんな同じように見えている鉄塔でも、こういった個性やら境遇やらを見つけることができると、とてもうれしくなります。
ね、明日から鉄塔見物に出かけてみよう、って気になったでしょ?
え?ならない?
おっかしいなぁ。
街の夜は電気で明るくなりぬれど 月が照らすは人のたましい
松本に降りていく道すがら撮影。
街では月光のありがたみがわからなくなるほど、街灯やらネオンやらで夜空を埋め尽くしている電気も、ここでは月と仲良し。
ところでこの鉄塔は、けっこう異常な短足鉄塔です。
この鉄塔の前後にある鉄塔間には微妙な標高差があり、その中間にこの鉄塔のある尾根が張り出している格好なのですが、その尾根と電線とのクリアランスを最低限保つために設置されたと思われる鉄塔です。
ワタクシが送電鉄塔に興味を惹かれたきっかけというのが「恐怖心」であったというのは、以前の記事で申し上げていたことなのですが、その恐怖心の根源にあるものは、やはり「電気」。
子供のころに家庭用コンセントで感電した経験というのもあると思うのですが、未だに電気には説明のつかない恐怖を感じているのです。
ですから、興味を持ちつつ未だに鉄塔が怖いわけなのですが、とりわけ恐ろしく感じるのは、電線が手の届きそうな高さまで低く張られているものなのです。
もちろん、撮影場所は谷の底なので、電線までは十分な高さがあるのですが、あの鉄塔の真下にはとても立つことができなさそうだ、と思います。
ただ心の中にはあの鉄塔の真下に行ってみたい、という思いを持つもう一人の自分がいることも事実。
そのもう一人の声に唆されてあの場所まで行ったとしたら、ワタクシは鉄塔を昇り電線に触れる誘惑に負けてしまうかもしれません。
そんな困った心の中の自分を「狂気」と言うならば、この場所で月の光に照らされ続けるのは危険ということになるでしょう。なにせ古来より「狂気」は月に支配されていると言われていますので。
やさしく見えても、月光はたましいに潜む狂気までを照らす恐ろしい一面をもっています。
それに比べれば電気の光はまだまだ役不足といわざるを得ないかもしれません。
今日は特にネタもないので、我が第二のふるさと、白馬に思いを馳せてみたいと思います。
画像の日付を見ると、2003年4月。
ちょうど5年前の今頃、ワタクシは買ったばかりの愛機FinepixS304を手に、春の白馬を駆け巡っていたのでした。
白馬のもっとも美しい季節は5月だと思います。
里は緑、山は白。天候も安定し、GW過ぎると人も少なく落ち着いて、皐月晴れの日差しを存分に独り占めできるからです。
だけど4月だって悪くない。特に人の少なさでいうと、4月は最高です。
画像の場所は特にお気に入りの場所。糸魚川方面から国道で白馬入りすると、とあるカーブを曲がりきって、突然目の前に開けるこの景色。
新潟県側から天気のよい日に白馬入りする、幸運なドライバーにのみ許される眺めです。
今は亡き愛車、ダイハツロッキーのステアリングが懐かしい・・・(涙)
画像の日付を見ると、2003年4月。
ちょうど5年前の今頃、ワタクシは買ったばかりの愛機FinepixS304を手に、春の白馬を駆け巡っていたのでした。
白馬のもっとも美しい季節は5月だと思います。
里は緑、山は白。天候も安定し、GW過ぎると人も少なく落ち着いて、皐月晴れの日差しを存分に独り占めできるからです。
だけど4月だって悪くない。特に人の少なさでいうと、4月は最高です。
画像の場所は特にお気に入りの場所。糸魚川方面から国道で白馬入りすると、とあるカーブを曲がりきって、突然目の前に開けるこの景色。
新潟県側から天気のよい日に白馬入りする、幸運なドライバーにのみ許される眺めです。
今は亡き愛車、ダイハツロッキーのステアリングが懐かしい・・・(涙)
そして今は亡きといえば、この年に撤去されてしまった送電線路、「黒部幹線」の鉄塔群も、味があってよかった。
昭和2年生まれの彼らですが、すでに役目を終えて送電線が外されています。送電線撤去工事の模様を、追いかけて見ることができたのは、貴重な経験でした。