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分離帯 海溝に見立て 見上げれば
回遊魚なり 街のきらめき
S駅前
歩行者信号が点滅していたが
特にに急ぐことなく渡りはじめた
赤になっても渡りきれるさ
そんな無意識
だけどここは大都会
次の一歩を踏み出そうとして
釘付けになってしまった
途切れぬ車
分離帯に取り残されてしまったのだ
でも
こんな景色はじめて見たよ
大通りのど真ん中でさ
流れから取り残された深海の底で
身も心も大都会から切り離されていたことに気付いた
これって自由?
※
ああ、気がつけば10日もブログを留守にしてしまっておりました。
訪れていただいていた方、どうも失礼いたしました。
って、同じようなお詫びを11月初旬にも書いていた気がします。
もうしません。
て、言い切れない不甲斐なさ。
いやはや
さて、上の画像なんですが、このたび何日間か上京しておりました。
実は父がヘルニアの手術をうけることになったためなのでした。
なんだかその世界では名医とされる方の執刀であるらしく、相当長期間待った末、
ようやく順番が回ってきたとのこと。
というわけでお見舞いに行ってきたのでした。
実家は湘南地方にあるのですが、病院はなんと埼玉県なので、とりあえず実家には寄らず東京に宿をとることになったのでした。
なにせ親の一大事。
大変です。
銀座のホテルに荷物を預けた後
まずは築地に向かい寿司を食い
両国の江戸東京博物館では、ボストン美術館の浮世絵コレクションの展覧会を見物し
そのまま初台のオペラシティに向かって蜷川実花の写真展を見て
新宿でデパ地下グルメな夕食を買い揃え
で、ようやくホテルに戻ったのが8時過ぎ。
え?病院?
ああ、手術は翌日だからね、明日カオ出そう。
てなわけで緊張感まるっきり欠いたまま訪れた病院には
これまた緊張感の欠片もない母がおり
手術前ゆえ絶食中の患者を囲んで、買ってきたお菓子やパンを食べ
茶を飲み談笑し
全身麻酔の手術前ゆえ、多少緊張した面持ちの患者を囲んで
和やかに記念写真をとり
・・・
これでもかとばかりに、因業ぶりを見せ付ける家族に囲まれた
父の胸中はいかばかりか。
ともあれ
我々家族の温かく献身的な介護の甲斐あって
無事手術は成功。
今頃父は若い看護師さんの尻でも眺めて楽しんでいることでしょう。
※
さて、唐突ですがトイレの写真です。
どこのトイレだと思われますか?
実はこれ、帰りの高速バスの中。
すごいですねー。
このままここに座って松本まで乗っていたい気分でしたよ。
ええそうです。
鏡の中の人物はワタクシです。
モザイクをかけているのは、別にカオが猥褻だからというわけではなく、
ワタクシがキムタク似の好い男だということがばれてしまうと、いろいろとアレなもんで。
失礼。
さあさあ、やってきました最終回。
いつまでダラダラ続けるんだこいつ、と思われた方にとっては、これでもう安心。
やっと目的地の涸沢に着いたの巻、なので、さぞやすんげえ写真が見られるのだろうと期待されている方に対しては・・・・
・・・・申し訳ございません。
なんとかマトモそうな画像はこれくらいなんです。
なんでって、そりゃあ、険しい山道を越えてきてですね、目指す目的地に着いてですね、黄金色の白く泡立つ例のヤツをクイってやってしまうとですね、習性として仰向けにひっくり返って動きたくなくなってしまうわけなのですよ。
というわけで、帰って画像をチェックしてみたら、肝心の涸沢内での画像は、殆どお尻を据え付けた場所での定点撮影のみになってしまっていたことに気づいたわけなのです。
でもこの場所のパラダイス感は感じ取っていただけましたでしょうか。
ここは山小屋「涸沢ヒュッテ」の屋根の上に設けられたテラスです。
突き抜ける青空の下、お店No1の奥穂ちゃんやら虎視眈々とNo1の座を狙っている北穂ちゃんやらニューフェイスの涸沢岳ちゃんやらに囲まれて、大紅葉楽団の生演奏に踊る色とりどりのテントたちを眺めながら呷る美酒。
まさに「グランドキャバレー 涸沢」といった趣を、ご覧のみなさんも感じていただけましたでしょうか?
さて、話は変わって。
20年前では当たり前だったことだけど、今では当たり前でなくなってしまったこと。
何だと思いますか?
それは「携帯電話を使わない待ち合わせ」
今回涸沢では、2日前からテントかついで入山している相方と待ち合わせて、一緒に帰ろうということになっていたのですが、ここ涸沢は全くの圏外。
しかもこちらは電車を使って行く訳ではなく、ピンポイントの時間指定も難しい状態です。
で、体中が青白くなるほどに全身の血液を脳に総動員して考えました結果、以下のようなコマンドを相方に与えておくことにしたわけです。
「1100時ヨリ毎正時ゴトニ「涸沢ひゅって」入口ニテ待機セヨ、1300時過ギテモ合流能ハヌ場合ハ、先ニ下山スベシ」
というわけで、パノラマコースのトラバース区間も後半にさしかかり、なんとか1100時に間に合いそうだという見極めをつけたあたりからは、結構走っていましたよ。
上の写真は、無事合流することができ、下山を始めた相方。
今回は初めて一人でテン泊装備を担いでの山行。よくがんばった。たいへんよくできました。
ちなみに下山開始時刻は1245時。
昼寝したり、突然山岳雑誌の取材をうけたりしているうちにずいぶん遅くなってしまいました。
雑誌は来年の夏に発売予定だそうで、秋の写真を載せるため、前年から取材をしているというわけなのですね。
それにしてもこの黄金色の木々のトンネルをくぐるというのは、とても幸せな経験でした。
黄金のトンネルを抜けると、北穂ちゃんがお見送りに出てきてくれていました。
又来るよ~。
それにしても実に後ろ髪を引かれる景色ではありました。
下山途中、切ない一瞬を感じる地点というのがあります。
例えば白馬八方尾根では、眼下に見える雲海がだんだん近づいてきて、やがて雲の層を突き抜けて再び下界の人となったことに気付く瞬間。剣岳では、剱御前小舎より雷鳥沢へ下りの一歩を踏み出す前に、最後に剣岳を振り返り見る瞬間。低山にだって、山を離れる切なさを感じる瞬間というのはあるものです。
涸沢、穂高だったら、やっぱりこのあたりかな。
途中でグロッキー気味になった相方にムチ打ちながら、日も暮れきった上高地に到着。
1800時。
出発時と変わらないもの・・・おでこのヘッドランプ。
出発時から減ったもの・・・ザックの重量(水とか食料とかの分)
出発時にはなかったもの・・・疲労感、足の痛み、相方、そしてかつてない多幸感。
ながながとお付き合いありがとうございました。
0935時、2565.4m三角点を出発。
道の向こうに見えるは涸沢岳。
その懐の涸沢まで、道は一直線に続いている・・・わけではなく、この先ルートは、コークスクリュー状態でひねりこみながら下ってゆきます。
1000時。
屏風のコルに戻り、涸沢へ向け再出発。しばらくはナナカマドの紅葉が美しい尾根筋を進みます。
やがて道は尾根筋を離れ、トラバース区間に入ります。
1/2.5万地形図上では、「がけ」の表示がびっしり連なる中を縫うように表示されている道です。
ここまでの力任せの急登とは違い、頭上の落石、足下の滑落と、ちょっとばかり緊張を強いられそうな区間なのでありますが、だからといってよそ見をするなというのが無理なくらいの絶景がこの先続くのかと思うと、日頃の我が身の集中力のなさが、些か心配になってきたりするのでもあります。
とはいいつつも、このあたりではまだ口を開けてよそ見をしている余裕もあり、先ほどまで立っていた2565.4m三角点のピークを仰ぎみたりもできるというわけです。
それにしてもあの三角点ピークはあんなにトンガっていたのか。
道理で景色がよかった訳だ。
この先は本格的に、なかなかイヤらしいところが続きます。
ここを下るわけなのですね~、はぁ。
ま、とりあえずがんばれおばちゃん。
あの岩の出っ張ってるところ、道幅何cmくらいあるんだろ。
なかなか素敵な眺めです。
画像中央の男性の足下に見える梯子がなければ、彼は人生を思い余って絶壁の縁に立っている人のように見えたことでしょう。
1100時。
ようやく涸沢到着。
パノラマコースの涸沢側入り口到着。
入り口から見ると、なんてことない山道に見えるパノラマコース。
しかもこんなにでかでかと表示されちゃあ、行って見たくもなるというものですが、実態は上記のごときヤな場所連続です。
さあ、画像右上に見えるあの小屋まで辿り着けば、シュワシュワと白く泡立つ、黄金色した不老長寿の秘薬が待っているわけです。
えっと、最後まで行こうと思ったんですが、どうにも眠い。
今日はこれにて。
今回はこれといった山の頂上を極めない、ワタクシ好みの「山頂なき山旅」だったわけですが、思いのほか行程がはかどって時間が余ったので、ちょっとだけ山頂チックなところに寄り道をしてきました。
「2565.4m三角点」
屏風のコルから涸沢へ続く本ルートから北方へ延びる脇道をたどると「屏風の頭」なる地点に辿りつくわけなのですが、その中間点にあたるのがここです。往復40分程度の寄り道となります。
そこからの景色。
右から北穂高岳、涸沢岳、奥穂高岳。それらに囲まれて、錦の反物を延べたように見えている谷間が、目指す涸沢カール。
カールとは、太古にここに存在した氷河がえぐり取った、半お椀状の地形のこと。
以上、状況説明終了。
あとはこの景色を前に、もはや言うべき言葉がありません。
サムネイルだけでなく、ぜひ画像をクリックして大きくしてご覧ください。
次回、なめたらアカン、トラバースルートを経て涸沢へ。
0645時、奥又白池との分岐点を出発。
振り返れば明神。
上空の雲が、この先いやな感じに変化していかないことを祈りつつ、そろそろきつくなりだした勾配を、時折手も使いながら登ってゆきます。
ここまでの長いアプローチの間に身体が充分にこなれたのか、まったく登りが苦になりません。ちょっと傾斜がゆるやかになると、走ったりする余裕もあるほど。
ま、今回はたったの5~6kg程度の荷しか背負っていないので、余裕があるのは当たり前なのかな?だけど、ほぼ1年まともな登山から遠ざかっていた身としては、自分の体力がそれほど衰えていなかったことがわかって、とてもうれしかったわけなのです。
慶応尾根のコルと推定されるあたりに到着。0745時。
ここは森の中。周囲は緑と黄色の世界です。
そのなかで、鮮烈に赤い色が目に飛び込んできました。これは何の実だろう。
そういえば、ここに来るまであまりに周りの景色に圧倒されすぎて、足元の小さきものたちのことが全く見えずにきてしまったなぁ、なんて思いつつパチリ。
神様は足元にも宿る、だけどついつい分かりやすいものに気をとられて、足元がおろそかになっていた、そんなワタクシへの赤信号。しばし止まって休憩。
初めて水筒のふたを開けます。
さて出発。
もうなんていうのか、目に映るもの、頬をなでる風、落葉枯葉のにおい、風に騒ぐ木々の葉の音、靴底を通して感じる石ころや木の根、どれも全てが素晴らしく感じます。
木々の間に見えるV字型の青空に、峠の存在を感じました。あと一登り。
天頂で藍に染まれり空の青
登るわが身も染めなおさるる
目指す最高地点「屏風のコル」が見えてきました。
コルとは、山の稜線を馬の背に見立てた場合、鞍が置かれるべきいちばん低い地点のこと。「鞍部」ともいいます。
上からは続々と涸沢からの登山者が下ってきます。
実はこのパノラマコース、傾斜が急なためか、登りよりも下山ルートに使う方が一般的です。ただ、ワタクシは急な下りで身体を制御するのが苦手なゆえ、登りルートに使ったという事情。実は膝が弱いのです。
上から下ってくる方々が、この先の激下りで味わうであろう苦労を考えるとため息が出てきますが、すれ違う中高年の方々は皆元気一杯。
日本の元気は、おじちゃんおばちゃんの膝から産み出されているのです。
さて次回、「その先の景色」をご披露いたします。