葡萄畑の傍に庵を結び、日々徒然なるまま
このブログのシステムもよく理解できぬまま、
勢いで始めてしまったブログ。
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たまには時事ネタ。
というほどでもないのだが、ニュースにあった堀江謙一さんに関する記事に感銘をうけました。
このたび彼は「ウェイブパワーボート」という波の力を利用して進む船で、ハワイから紀伊水道までの航海に挑戦するもよう。
「ウェイブパワーボート」なんてすごいハイテク船みたいな名前なのですが、実は推進のための動力を一切使っていません。
ハイテクがあるとすれば、「波の力を推進力に変える」という理論を実現させるための開発過程あたりだけでしょうか。これすらも、たとえば500年位昔の人がこの理屈を思いついて、たとえば子孫3代くらいにわたって改良を重ねてたどりつこうとすれば出来るという、そういう次元の話ではないかとワタクシは思います。
つまりハイテクが寄与したとしても、開発期間の短縮においてのみであって、決してハイテクは必要条件ではない、というあたりにこの方式の魅力を感じます。平たく言えば、大昔の技術でも、やろうと思えばできた、ということ。これはもしかしたら古代文明にはあったかもしれない技術で、今は廃れてしまった類のものの再発見なのかもしれません。ピラミッドの建築技術や古代コアガラスの技術のように。
もちろん、堀江謙一さんも同じような理由で、このローテクぶりを強調されているようです。
それにしても御年68歳でのこのチャレンジ、すごいです。扱い慣れた帆船での航海ならばともかく、この年齢で新しい技術を使いこなそうとするなんて。
「ウェイブパワーボート」と堀江さんの航海についてもっと知りたい方は下記をクリック。
http://www.alumi-world.jp/mermaid2/index.html
←画像は上記ページより無断転載。あしからず。
堀江謙一さんばかり持ち上げましたが、でもやっぱり一番すごいのは開発者でしょう。
というわけでお名前を。
東海大学海洋学部船舶海洋工学科 寺尾裕教授
寺尾教授、あなたは偉い。
というほどでもないのだが、ニュースにあった堀江謙一さんに関する記事に感銘をうけました。
このたび彼は「ウェイブパワーボート」という波の力を利用して進む船で、ハワイから紀伊水道までの航海に挑戦するもよう。
「ウェイブパワーボート」なんてすごいハイテク船みたいな名前なのですが、実は推進のための動力を一切使っていません。
ハイテクがあるとすれば、「波の力を推進力に変える」という理論を実現させるための開発過程あたりだけでしょうか。これすらも、たとえば500年位昔の人がこの理屈を思いついて、たとえば子孫3代くらいにわたって改良を重ねてたどりつこうとすれば出来るという、そういう次元の話ではないかとワタクシは思います。
つまりハイテクが寄与したとしても、開発期間の短縮においてのみであって、決してハイテクは必要条件ではない、というあたりにこの方式の魅力を感じます。平たく言えば、大昔の技術でも、やろうと思えばできた、ということ。これはもしかしたら古代文明にはあったかもしれない技術で、今は廃れてしまった類のものの再発見なのかもしれません。ピラミッドの建築技術や古代コアガラスの技術のように。
もちろん、堀江謙一さんも同じような理由で、このローテクぶりを強調されているようです。
それにしても御年68歳でのこのチャレンジ、すごいです。扱い慣れた帆船での航海ならばともかく、この年齢で新しい技術を使いこなそうとするなんて。
「ウェイブパワーボート」と堀江さんの航海についてもっと知りたい方は下記をクリック。
http://www.alumi-world.jp/mermaid2/index.html
←画像は上記ページより無断転載。あしからず。
堀江謙一さんばかり持ち上げましたが、でもやっぱり一番すごいのは開発者でしょう。
というわけでお名前を。
東海大学海洋学部船舶海洋工学科 寺尾裕教授
寺尾教授、あなたは偉い。
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唐突ですが印度です。
ワタクシの顔はインド人に似ている、というか、インド人そのものという評価がこの20年来定着しております。
うっかり「うん、そうなんだ、片親がインド人でね」なんて話をしようもんなら、それを聞いた多くの人々の顔に「ああなるほどね」という、右手の拳骨を、腹の前に水平に差し出した掌に打ちあて深くうなずく、というあのジェスチャーと共に、積年の疑問がようやく晴れたとでもいうようなスッとした表情が浮かびまして、ワタクシはあわててこれは冗談である旨、訂正弁解に冷や汗をかくような始末。
実は片親はインド人ではなくスリランカ人なんだと。
・・・いや、だから納得するなって。
だからかどうか知らんが、ワタクシはカレーが大好きです。
朝昼晩とカレーだったりしても、1週間は耐えられる、どころか楽しめる自信さえあります。
昼・晩だったら2週間、晩だけだったら1ヶ月はOKではないかと、試したことはないけどそんな気がするのです。
カレーライスも好きですが、カレーパンも好き。本格派カレーにはナンなのでしょうが、親日派(エセ)インド人を自認するワタクシとしましてはやはりカレーパン。
そんな(エセ)インド人も絶賛のカレーパンに、先日この松本の地で巡り合うことができました。
蟻ヶ崎の「ひゃくにんぱん」のカレーパン。
150円くらいだったか。
是非一度お試しください。すごくおいしい。ちょっとしたサプライズも隠されていたりしまして。
もちろん他のもおいしいよ。
お店もね、渋いの。結構。
狭いんだけど、見てるだけで楽しいんだよね。
営業時間はこんな感じ。
カレーパンの歌。
(↑文字をクリックしてね)
ワタクシの顔はインド人に似ている、というか、インド人そのものという評価がこの20年来定着しております。
うっかり「うん、そうなんだ、片親がインド人でね」なんて話をしようもんなら、それを聞いた多くの人々の顔に「ああなるほどね」という、右手の拳骨を、腹の前に水平に差し出した掌に打ちあて深くうなずく、というあのジェスチャーと共に、積年の疑問がようやく晴れたとでもいうようなスッとした表情が浮かびまして、ワタクシはあわててこれは冗談である旨、訂正弁解に冷や汗をかくような始末。
実は片親はインド人ではなくスリランカ人なんだと。
・・・いや、だから納得するなって。
だからかどうか知らんが、ワタクシはカレーが大好きです。
朝昼晩とカレーだったりしても、1週間は耐えられる、どころか楽しめる自信さえあります。
昼・晩だったら2週間、晩だけだったら1ヶ月はOKではないかと、試したことはないけどそんな気がするのです。
カレーライスも好きですが、カレーパンも好き。本格派カレーにはナンなのでしょうが、親日派(エセ)インド人を自認するワタクシとしましてはやはりカレーパン。
そんな(エセ)インド人も絶賛のカレーパンに、先日この松本の地で巡り合うことができました。
蟻ヶ崎の「ひゃくにんぱん」のカレーパン。
150円くらいだったか。
是非一度お試しください。すごくおいしい。ちょっとしたサプライズも隠されていたりしまして。
もちろん他のもおいしいよ。
お店もね、渋いの。結構。
狭いんだけど、見てるだけで楽しいんだよね。
営業時間はこんな感じ。
カレーパンの歌。
(↑文字をクリックしてね)
松本市蟻ヶ崎にある姫宮神社。
木花開耶姫命(このはなさくやひめ)を祀ってある小さな小さな神社です。
神社前の説明板によると、この神様はその昔、この地で女性の病を癒されたのだそうです。そして、人々はその神恩に報いるために、「赤い真心」を表す赤い布を奉納するのが慣わしとなったとのことで、このようにいまでも赤布を奉納する女性が絶えないそうです。
「赤い真心」・・・聞きなれないフレーズではありますが、「赤心」という言葉は、古来よりそのものずばり、マゴコロを表す言葉でもあります。
「赤っ恥」なんて言葉もありますが、思うに「赤」というのは、「真」を表す強調の意味を担っていたのではないでしょうか。
今風に言えば、「マジ本気だから」とか「マジ恥ずかしい」みたいなもんかね。
この神社は自然石をそのまま使った設置物が多く、独特の味わいがあります。
画像の常夜燈もその一つ。
社殿の規模に比して、ちょっとオーバーサイズな気がするのは否めないところですが・・・。
水が涸れているのが残念でしたが、御手洗場も天然石をただくりぬいただけの物でした。
亀さんの吐水口が素敵。
近くで見ると、結構な面構え。
後ろ姿は・・・おマヌケ。
木花開耶姫命(このはなさくやひめ)を祀ってある小さな小さな神社です。
神社前の説明板によると、この神様はその昔、この地で女性の病を癒されたのだそうです。そして、人々はその神恩に報いるために、「赤い真心」を表す赤い布を奉納するのが慣わしとなったとのことで、このようにいまでも赤布を奉納する女性が絶えないそうです。
「赤い真心」・・・聞きなれないフレーズではありますが、「赤心」という言葉は、古来よりそのものずばり、マゴコロを表す言葉でもあります。
「赤っ恥」なんて言葉もありますが、思うに「赤」というのは、「真」を表す強調の意味を担っていたのではないでしょうか。
今風に言えば、「マジ本気だから」とか「マジ恥ずかしい」みたいなもんかね。
この神社は自然石をそのまま使った設置物が多く、独特の味わいがあります。
画像の常夜燈もその一つ。
社殿の規模に比して、ちょっとオーバーサイズな気がするのは否めないところですが・・・。
水が涸れているのが残念でしたが、御手洗場も天然石をただくりぬいただけの物でした。
亀さんの吐水口が素敵。
近くで見ると、結構な面構え。
後ろ姿は・・・おマヌケ。
本日は休日なのですが、相方が勤めに出始めたため、久しぶりの一人での休日となりました。
さあ何をして羽を伸ばそう。
というわけで、本日はブログ用ネタ仕入れのためにうろうろすることにしました。
仕入れたネタは追々出してゆくとして、まずは今日思いついたこんなあたりから。
「松本の路地」
松本は城下町としての防衛の必要性と、幸運にも大規模な空襲で焼けなかったため、さらに郊外部では昔の田んぼの区割りそのままに宅地が造成されてきたらしいなどの理由で、古い町並みや区画が良く保存され、一種独特の迷路状態を呈しています。
散歩好き、徘徊好きの楽しみは道に迷うこと。そういう意味ではこんなに楽しい街もなかなかありません。
そんな中で首都圏郊外のベッドタウンで育ったわたくしの目に、異様に狭い路地はとても新鮮に映ったのです。
たとえばこのくらいだったら、無理すれば軽自動車くらいは通れるかも・・・。
でもこれは絶対無理。車無理。
チャリのすれ違いですら難しい。
そりゃ東京の下町とか、狭い道があるところは日本全国無数にあるので、別に珍しくない人には珍しくないだろうけれどね。現に大阪の下町、生野区出身の相方に言わせれば、だからなんだということになるのでしょうが、わたくしの育った環境では、道は車が通れてナンボが常識。こんな景色はとっても新鮮なのです。
というわけで、その新鮮なまなざしで見た路地の画像などを、これから折に触れて載せていこうかと、そんなふうに思っとるわけです。
さあ何をして羽を伸ばそう。
というわけで、本日はブログ用ネタ仕入れのためにうろうろすることにしました。
仕入れたネタは追々出してゆくとして、まずは今日思いついたこんなあたりから。
「松本の路地」
松本は城下町としての防衛の必要性と、幸運にも大規模な空襲で焼けなかったため、さらに郊外部では昔の田んぼの区割りそのままに宅地が造成されてきたらしいなどの理由で、古い町並みや区画が良く保存され、一種独特の迷路状態を呈しています。
散歩好き、徘徊好きの楽しみは道に迷うこと。そういう意味ではこんなに楽しい街もなかなかありません。
そんな中で首都圏郊外のベッドタウンで育ったわたくしの目に、異様に狭い路地はとても新鮮に映ったのです。
たとえばこのくらいだったら、無理すれば軽自動車くらいは通れるかも・・・。
でもこれは絶対無理。車無理。
チャリのすれ違いですら難しい。
そりゃ東京の下町とか、狭い道があるところは日本全国無数にあるので、別に珍しくない人には珍しくないだろうけれどね。現に大阪の下町、生野区出身の相方に言わせれば、だからなんだということになるのでしょうが、わたくしの育った環境では、道は車が通れてナンボが常識。こんな景色はとっても新鮮なのです。
というわけで、その新鮮なまなざしで見た路地の画像などを、これから折に触れて載せていこうかと、そんなふうに思っとるわけです。
以前から気になっておりました県の森通りの「カフェモンク」へ。
ケーキセット600円だったか700円だったか、ま、だいたいそのくらい。
こってりと濃いチーズケーキは、例えようもなく美味しかったなぁ。
ストレートコーヒーのメニューも充実しているので、お好きな方にはたまらないです。
素晴らしい音を出すスピーカーからはジャズが流れ、いつまでも居たい気分にさせてくれる店内の雰囲気は、得がたいものがあります。
食べ終わった後の画像で恐縮でございますが、画像奥に見えている本棚は、販売している古本です。古本とはいえ、初版本などのコレクション価値のあるもので、ここで何十年も前に出版された年代ものの本でも買って、コーヒー・・・というより「珈琲」を飲みながら、文学の世界に耽溺するなんて、考えてもみただけで素敵な時間の過ごし方じゃありませんか。
店主は相当な趣味人と拝見いたしました。
凄まじい存在感を放つ戦艦大和は、毎週送られてくる部品をこつこつ作り上げ、(今流行のディアゴスティーニの「週刊ナントカ」だったのでしょうか)1年半で完成させたそうです。
それにしても商業主義なカフェならば、これだけの空間、もう一席つくるとか、せめて物販コーナーにしたりとかしますわな。
自分が喫茶店やるとしたら、これくらいの気持ちの余裕を持っていきたいもんです。
県の森通りは美術館や市民芸術館がある、ちょっと素敵な雰囲気の通りなので、窓の外もいい感じ。上高地白樺荘経営のレストラン「ル・ブラン」のイルミネーションがいい味出してくれていました。
ケーキセット600円だったか700円だったか、ま、だいたいそのくらい。
こってりと濃いチーズケーキは、例えようもなく美味しかったなぁ。
ストレートコーヒーのメニューも充実しているので、お好きな方にはたまらないです。
素晴らしい音を出すスピーカーからはジャズが流れ、いつまでも居たい気分にさせてくれる店内の雰囲気は、得がたいものがあります。
食べ終わった後の画像で恐縮でございますが、画像奥に見えている本棚は、販売している古本です。古本とはいえ、初版本などのコレクション価値のあるもので、ここで何十年も前に出版された年代ものの本でも買って、コーヒー・・・というより「珈琲」を飲みながら、文学の世界に耽溺するなんて、考えてもみただけで素敵な時間の過ごし方じゃありませんか。
店主は相当な趣味人と拝見いたしました。
凄まじい存在感を放つ戦艦大和は、毎週送られてくる部品をこつこつ作り上げ、(今流行のディアゴスティーニの「週刊ナントカ」だったのでしょうか)1年半で完成させたそうです。
それにしても商業主義なカフェならば、これだけの空間、もう一席つくるとか、せめて物販コーナーにしたりとかしますわな。
自分が喫茶店やるとしたら、これくらいの気持ちの余裕を持っていきたいもんです。
県の森通りは美術館や市民芸術館がある、ちょっと素敵な雰囲気の通りなので、窓の外もいい感じ。上高地白樺荘経営のレストラン「ル・ブラン」のイルミネーションがいい味出してくれていました。