葡萄畑の傍に庵を結び、日々徒然なるまま
このブログのシステムもよく理解できぬまま、
勢いで始めてしまったブログ。
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先日の四賀村訪問の際に思いついた、チャリによる松本から四賀村への峠越え案。
本日下見のつもりで、峠の登り口あたりまでは行ってみようと、お昼過ぎにおうちを出発しました。
松本から四賀へ至るルートは、都合4本あります。
東から、稲倉峠、刈谷原峠、馬飼峠、そして現道の国道143号線です。
うち刈谷原峠、馬飼峠は、快適に走行できるか(つまりチャリを担いだりしなければならないような場所がないか)、地形図を読んだ限りでは疑わしいので敬遠。
国道143号は、非常に西に遠回りをしています。自動車が快適に速度をだせるよう、勾配のゆるい場所を選んだ結果のルートなのでしょう。自動車でなければ全く価値の無いルートです。
稲倉峠は、舗装の程度は不明ですが、どうやらOKなようです。
国道以外の他の三峠は、地形図を見る限り、古来より背後の山を越えての、四賀・松本平間のおつきあいに欠かせない生活道路だったのでしょう。そのころの四賀・松本の結びつきは今よりも強かったのかもしれません。
でも現在は、四賀へ行くのには、事実上国道143号を使うより他に手はありません。
自動車で行くと、四賀はとても遠く感じる場所です。時間的には短縮されているはずなのに、なんだか矛盾した話ですね。
山間部に行くとこれはよく聞く話です。山を隔てて隣の集落へ行くのに、昔は歩いて背後の山を越えていたのだけれど、今は車で谷の出口まで出て、大きく山地を迂回しなければならない。
技術の進歩によって、生活は概ね便利になるかもしれないけれど、どんなことにも例外というものはあるようです。例外は切り捨てなければ、世の中は進歩していかないものなのでしょうか。
おっと、語りに入っちまった。
閑話休題。
さて、ここが峠の入り口です。これで本日の目的達成なんですが、時間の余裕もあることだし、ちょっと奥まで行ってみましょうか。
年代不詳の(だって看板にもそう書いてあるんですもん)双体道祖神に見送られて峠道へ入ります。
そして始まるフタケタ勾配。そろそろ引き返そうか。
イヌノフグリが綺麗だ。こんな可憐な花が、何故犬のチ○ポなんて名前になったんだろう。
ところで、画像に写っている石柱にある「館跡」とは、この峠道沿いの稜線に築かれた、かつては偉容を誇ったであろう、稲倉城の館跡なんだそうです。
・・・もうちょっとがんばって登ってみるか。
おや?もしや前方に見えるコンクリートの法面は・・・。
あの地形といい、勾配が緩くなっている様子といい、峠は近いぞ!
・・・と思いつつ漕ぐ足に力を込めたのですが、実はガセでした。あの法面。そこからヘアピンカーブでさらに道は上へと続く・・・。ああ・・・なんてこと。
もうこうなりゃ意地です。例え日が暮れても峠まで行ってやる。
因みに「落石注意」の標識を見て、「どうやって注意しろってんだ」と茶々を入れる人がいますが、実は結構注意できるものです。その最たるものは、落石がおきそうな場所はさっさと通り過ぎること。で、落石が起きそうな場所なんてどうやって分かるんだ、って?
これ見て分からんかい、ボケェ!!
・・・失礼しました。
こんな感じで(これは凄すぎだが)斜面が不安定な場所、道に石が落ちている場所は要注意なのです。間違ってもこんな場所で休憩なんてしちゃいけない。(そして間違っても、こんな場所で悠長にカメラを構えているオマエは何なんだ、なんて野暮な突っ込みもしちゃいけない)
「落石注意」の看板が出たら、とにかく観察、観察。
さて、「日が暮れても・・・」なんて悲壮な決心をしたとたんに勾配は緩やかになり、気がついたら目の前に山の向こうの景色が見えていました。
下見のつもりが、稲倉峠攻略完了。結局最後まで快適な舗装路面でした。
よくがんばった、俺。愛車のナダレ号もよくやった。
でもさすがにもう四賀側に降りて、又登り返す時間も気力もありませんので、回れ右。
因みにこの峠道は昔、参勤交代でも使った由緒ある街道なのだそう。
なるほど、当時はスーパーあずさなんて無かったからな、大名行列の皆さんは、この道で一旦上田まで出て、長野新幹線を使ったのだな。(真顔)
登りは45分かけたこの峠道、下りは韋駄天のダウンヒルで7分30秒。あー気持ちよかった。
久々の峠アタックでしたが、体力がそれほど低下していなかったのはよかった。
あ、峠名を「いなくらとうげ」って訓んでたでしょ、「しなくらとうげ」ですよ。いまさらですいませんが。
本日下見のつもりで、峠の登り口あたりまでは行ってみようと、お昼過ぎにおうちを出発しました。
松本から四賀へ至るルートは、都合4本あります。
東から、稲倉峠、刈谷原峠、馬飼峠、そして現道の国道143号線です。
うち刈谷原峠、馬飼峠は、快適に走行できるか(つまりチャリを担いだりしなければならないような場所がないか)、地形図を読んだ限りでは疑わしいので敬遠。
国道143号は、非常に西に遠回りをしています。自動車が快適に速度をだせるよう、勾配のゆるい場所を選んだ結果のルートなのでしょう。自動車でなければ全く価値の無いルートです。
稲倉峠は、舗装の程度は不明ですが、どうやらOKなようです。
国道以外の他の三峠は、地形図を見る限り、古来より背後の山を越えての、四賀・松本平間のおつきあいに欠かせない生活道路だったのでしょう。そのころの四賀・松本の結びつきは今よりも強かったのかもしれません。
でも現在は、四賀へ行くのには、事実上国道143号を使うより他に手はありません。
自動車で行くと、四賀はとても遠く感じる場所です。時間的には短縮されているはずなのに、なんだか矛盾した話ですね。
山間部に行くとこれはよく聞く話です。山を隔てて隣の集落へ行くのに、昔は歩いて背後の山を越えていたのだけれど、今は車で谷の出口まで出て、大きく山地を迂回しなければならない。
技術の進歩によって、生活は概ね便利になるかもしれないけれど、どんなことにも例外というものはあるようです。例外は切り捨てなければ、世の中は進歩していかないものなのでしょうか。
おっと、語りに入っちまった。
閑話休題。
さて、ここが峠の入り口です。これで本日の目的達成なんですが、時間の余裕もあることだし、ちょっと奥まで行ってみましょうか。
年代不詳の(だって看板にもそう書いてあるんですもん)双体道祖神に見送られて峠道へ入ります。
そして始まるフタケタ勾配。そろそろ引き返そうか。
イヌノフグリが綺麗だ。こんな可憐な花が、何故犬のチ○ポなんて名前になったんだろう。
ところで、画像に写っている石柱にある「館跡」とは、この峠道沿いの稜線に築かれた、かつては偉容を誇ったであろう、稲倉城の館跡なんだそうです。
・・・もうちょっとがんばって登ってみるか。
おや?もしや前方に見えるコンクリートの法面は・・・。
あの地形といい、勾配が緩くなっている様子といい、峠は近いぞ!
・・・と思いつつ漕ぐ足に力を込めたのですが、実はガセでした。あの法面。そこからヘアピンカーブでさらに道は上へと続く・・・。ああ・・・なんてこと。
もうこうなりゃ意地です。例え日が暮れても峠まで行ってやる。
因みに「落石注意」の標識を見て、「どうやって注意しろってんだ」と茶々を入れる人がいますが、実は結構注意できるものです。その最たるものは、落石がおきそうな場所はさっさと通り過ぎること。で、落石が起きそうな場所なんてどうやって分かるんだ、って?
これ見て分からんかい、ボケェ!!
・・・失礼しました。
こんな感じで(これは凄すぎだが)斜面が不安定な場所、道に石が落ちている場所は要注意なのです。間違ってもこんな場所で休憩なんてしちゃいけない。(そして間違っても、こんな場所で悠長にカメラを構えているオマエは何なんだ、なんて野暮な突っ込みもしちゃいけない)
「落石注意」の看板が出たら、とにかく観察、観察。
さて、「日が暮れても・・・」なんて悲壮な決心をしたとたんに勾配は緩やかになり、気がついたら目の前に山の向こうの景色が見えていました。
下見のつもりが、稲倉峠攻略完了。結局最後まで快適な舗装路面でした。
よくがんばった、俺。愛車のナダレ号もよくやった。
でもさすがにもう四賀側に降りて、又登り返す時間も気力もありませんので、回れ右。
因みにこの峠道は昔、参勤交代でも使った由緒ある街道なのだそう。
なるほど、当時はスーパーあずさなんて無かったからな、大名行列の皆さんは、この道で一旦上田まで出て、長野新幹線を使ったのだな。(真顔)
登りは45分かけたこの峠道、下りは韋駄天のダウンヒルで7分30秒。あー気持ちよかった。
久々の峠アタックでしたが、体力がそれほど低下していなかったのはよかった。
あ、峠名を「いなくらとうげ」って訓んでたでしょ、「しなくらとうげ」ですよ。いまさらですいませんが。
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