葡萄畑の傍に庵を結び、日々徒然なるまま
このブログのシステムもよく理解できぬまま、
勢いで始めてしまったブログ。
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本日より新しい本を読み始めました。
仕事帰りのアイリッシュパブにてページを開きます。
シラノ・ド・ベルジュラック作「日月両世界旅行記」。(赤木昭三訳 岩波文庫)
現在進行形で描かれる17世紀の世界はなかな興味深いものがあります。
このころのカナダが、「新フランス」なんて概念で一般的に認知されていたのだなぁとか、教会が天動説に固執するなかで、地動説の支持も徐々に強まりだしたころの時代の空気のようなものが感じられたりだとか、まだ読み始めて50頁あまりなんですが、もうすでに相当引き込まれてしまっています。
特に面白いのが、この時代の人々の科学知識というか科学概念と言うか。
たとえば、磁石がなぜ物を引き付けるか。
この小説のなかでは磁石のなかにある「吸引素」というエッセンスのせいだということになっている。
大きな磁石をかまどの中に放り込み、溶かしてこの「吸引素」を精錬し、その吸引素で球をこさえて、その球を操って月の世界に達した人のことが描かれていたりするのです。
現代人ならば、磁力とか磁界とかいう答えをするところですが、なんだか「吸引素」説の方が、肌にしっくりくる説得力を持っていると感じるのはワタクシだけでしょうか。少なくともこちらのほうが、想像に無理がないように思えます。
だけど無理のない想像力では及びもつかなかったのが、その後の実際の科学の発展だったのですねぇ。
まさに「事実は小説よりも奇なり」です。
さてさて、今夜立ち寄ったアイリッシュパブは、入り口から覗いてみて静かそうだったら、たまに入って独唱じゃなかった、読書しつつビールを楽しんでいます・・・いや、ビールを呑みつつ、本を眺めたりなどしています。表現は正確にしないとな。
城下町松本のアイリッシュパブで、アイルランドのビールを呑みながら、おフランスの古典を読みふける、インド顔した日本人を見つけたら、それは多分私です。
仕事帰りのアイリッシュパブにてページを開きます。
シラノ・ド・ベルジュラック作「日月両世界旅行記」。(赤木昭三訳 岩波文庫)
現在進行形で描かれる17世紀の世界はなかな興味深いものがあります。
このころのカナダが、「新フランス」なんて概念で一般的に認知されていたのだなぁとか、教会が天動説に固執するなかで、地動説の支持も徐々に強まりだしたころの時代の空気のようなものが感じられたりだとか、まだ読み始めて50頁あまりなんですが、もうすでに相当引き込まれてしまっています。
特に面白いのが、この時代の人々の科学知識というか科学概念と言うか。
たとえば、磁石がなぜ物を引き付けるか。
この小説のなかでは磁石のなかにある「吸引素」というエッセンスのせいだということになっている。
大きな磁石をかまどの中に放り込み、溶かしてこの「吸引素」を精錬し、その吸引素で球をこさえて、その球を操って月の世界に達した人のことが描かれていたりするのです。
現代人ならば、磁力とか磁界とかいう答えをするところですが、なんだか「吸引素」説の方が、肌にしっくりくる説得力を持っていると感じるのはワタクシだけでしょうか。少なくともこちらのほうが、想像に無理がないように思えます。
だけど無理のない想像力では及びもつかなかったのが、その後の実際の科学の発展だったのですねぇ。
まさに「事実は小説よりも奇なり」です。
さてさて、今夜立ち寄ったアイリッシュパブは、入り口から覗いてみて静かそうだったら、たまに入って独唱じゃなかった、読書しつつビールを楽しんでいます・・・いや、ビールを呑みつつ、本を眺めたりなどしています。表現は正確にしないとな。
城下町松本のアイリッシュパブで、アイルランドのビールを呑みながら、おフランスの古典を読みふける、インド顔した日本人を見つけたら、それは多分私です。
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