葡萄畑の傍に庵を結び、日々徒然なるまま
このブログのシステムもよく理解できぬまま、
勢いで始めてしまったブログ。
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みすずかる信濃に小さきうみありて やまそらひとを いだき佇む
松本市には「美須々(みすず)」という地名があります。
「美須々ヶ丘高校」という進学校もあります。
松本市のみならず、信州では「みすず」の名を冠したものをよくみかけます。
山向こうの上田名物「みすず飴」。
電車の名前も「快速みすず」、バスの名前も「みすずハイウェイバス」
出版社「みすず書房」の創業者も信州人だとか。
はて、それでは「みすず」とはなんぞや。
みすずとは、「篠岳(すずたけ)」の別称なんだそうです。
山に囲まれた狭い盆地の湿地帯に、びっしり生えている小さい竹。
これが「みすず」の正体。
和歌の世界では「信濃」にかかる枕詞として有名で、
それがために信州を象徴する言葉として、愛されているわけなのですね。
でも、ちょっと疑問。
信州には、山とか山とか山とか、もっと象徴になりそうなものがあるのに、
なぜ枕詞が、あんなケチくさい竹なんでしょう。
調べるうちに、こういう説にいきあたりました。
(篠竹をケチくさいなんて言ってごめんよ)
古代における鉄資源の重要性は相当なものだったと思われます。
鉄が取れる場所というのは、今だったら油田に相当するほどの
重要性を持っていたのかもしれません。
「みすずを刈る」という行為が信濃を象徴する言葉になったことも、
なんとなくうなずけてしまう話です。
※
さて、いろいろ薀蓄たれ流してしまいましたが、
今日お話したかったのは、昨日訪れたその名も「美鈴湖」。
松本自宅の裏山にある人造湖です。
標高差400m以上あるのですが、チャリでがんばってきました。
松本市制100周年事業で行われた(らしい)、
「さくら・かえで・ななかまどを植える運動」(みたいなもの)のおかげで、
湖畔は特に桜の紅葉が見事でした。
さてこの美鈴湖ですが、
その規模の大きさから、
戦後くらいに作られたダムでできた湖なんだろうと思っていました。
が、さにあらず。
湖畔の説明看板を読んで、びっくりしてしまいました。
元は「芦の田池」といって、慶長十二年に完成したものなのです。
「慶長」ですよ、幕末の「慶応」だったとしてもすごいのに。
戦国時代です、秀吉の時代です。
(GoogleEarthででも探してもらえば、すごさが分かるかも)
秀吉といえば、この事業を指揮した、時の松本城主・石川三長は、
秀吉の重臣、石川数正の息子なのですね。
まあそう聞くと、この大事業に「土木屋」秀吉の影が見え隠れしてきて、
ああなるほどね、と納得するわけなのですが。
まあでも裏山にこんなものがあるとは発見でした。
※
信州にはいわゆる海はありません。
でも海野、小海、海ノ口など、
信州各地になぜか「海」のついた地名が点在するのは何故でしょう。
「うみ」は、もともとは「海洋」にとどまらず、
広い水面がある場所を指す言葉だったのでしょう。
今だって「みずうみ」って言うでしょ。
広い水面そのものが貴重な信州にあっては、
そういった「うみ」が、ことのほか大事にされていた、
時には自らの手で「うみ」を作り出すほどに。
そんなことが地名に現れているのかもしれませんね。
そうそう、「みすず」だって、「うみ」のあるところに生えるものですし。
※
信濃の国にはないと思っていた「うみ」を発見して、
またちょっと信州と仲良くなれた気がした、秋晴れの湖畔なのでした。
(素人知識でいじったディレイラーのセッティングがうまくいかず、
調子イマイチの愛車「雪崩号」、久々の記事登場です)
うみに生き うみに生かされ みすずかる信濃の秋は彩られゆく
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