葡萄畑の傍に庵を結び、日々徒然なるまま
このブログのシステムもよく理解できぬまま、
勢いで始めてしまったブログ。
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遠くまで見ること諦めた理由は
霞んだ空の所為ではないはず
散歩の途中で出会った若猿の目は透き通っていて、その目で一体何を見ていたのだろうと思った。
次に移るべき枝か、仲間の動向か、はたまた別の幹に虫でも見つけたか。
時に零下20度になる上高地の冬は厳しい。
そしてここで冬を越す彼ら猿たちにとって、この季節にどれだけ食物を食べ、体力をつけておけるかということは死活問題だ。死活問題なんていう言葉も生ぬるい、文字通り生き死にの問題なのだ。
でも彼は空を見ていた。きっと。一瞬だけど、食べ物のことを考えるのを忘れていた。
そんな一瞬も、歳を経るごとに減ってゆく。
空を見るよりも、その手前に見える枝や幹が与えてくれる、食物情報の収集が上手になってゆくのだ。きっと。
だから生き残れる。そして生き残るのは生き物としての義務だ。
だから、いい歳して空ばかり見ていてはダメなのだな。
そんなことを思った。
空を見ながら。
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