[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
松島や雪浮く松根見惚れけり
絶景はひとぞれぞれにあり
決して天邪鬼精神の発露で、絶景に背を向けていたわけではありません。
どんより曇り、顔にはアラレのつぶてがぱちぱちあたる
そんな時は下を向いて歩くもの。
下を向いて歩いていれば、落ちているお金を拾ったり
この春さいしょに咲いた花をみつけたり
いろいろいいことあるものです。
これもそのひとつ。
仙台2日目。
おかけでいい松島観光になりました。
※
さて、仙台2日目
こちら方面に来たのは、松島の絶景も然ることながら
日本一の寿司の街
塩釜
これが目当てでございました。
確かにお寿司屋さんがいっぱいある中、
入ったのは、駅に程近い「すし哲」
狭いながら、活気のある良い雰囲気。
味?もちろん、言うまでもないですよ。
ほら
腹もいっぱいになったし、熱燗で身体も温まったし
それではさらば塩釜よ。
・・・と言ってしまうには、あまりにも惜しい雰囲気の街でありました。
そんなわけで、午後の仙台市内観光のプランを放り出して塩釜散策開始。
どうやら丘の上には立派な神社があるらしい。
丘の上、というよりは
丘自体が神域の塩竈神社でした。
陸奥国一宮というだけあって
さすがに壮大な規模の神社です。
一直線に続く階段は、二百数十段。
上の画像左は、男坂。
最初女坂から登ってしまい、
後で気づいてわざわざ登り返した物好きとは
このワタクシのこと。
建物の配置も独特で、建物自体も素晴らしいものがありましたが、
ワタクシが気づいてしまったものは、狛犬。
これがとっても素敵な表情のイカしたやつらばかり。
そんなイカした狛犬ばかり撮影していたイカれポンチとは、
やっぱりこのワタクシのこと。
そんなわけで、新年号豪華付録、塩竈神社狛犬ピンナップ!
ワタクシの偏った好奇心によるこの旅行記を読まれて
塩釜の町の特産が狛犬であるなどと
誤解されてもいけない。
ほどほどに古い、
味のある町並みもありまして
寿司、神社以外でも
充分散策を楽しめる街でした。
左の画像は、銘酒「浦霞」の蔵元。
この蔵のある通りは、
観光散策コースとして
マップに載っているだけあって
とてもいい雰囲気でした。
ところで塩釜付近は、
JRの東北本線や仙石線が錯綜しており
そのせいで
街に4つも駅があってヤヤコシイ。
その4つの駅名も
「塩釜」「本塩釜」「東塩釜」「西塩釜」
観光で訪れる際は
ターゲットがどの駅下車か
把握しておかないと
いろいろ面倒です。
把握してなかったので
とっても面倒な思いをしました。
仙台に帰り着くと
日はもうすっかり暮れていました。
仙台市内に関しては
観光らしい観光はできませんでした。
せめてもと思い
暗くなりかけた街を
たっぷり2時間ほど歩き回り
仙台のラーメンはどんなだろう
と思って入った店で
博多ラーメンを食わされ
1泊3千円のホテルの客となったのでした。
明日は早朝から列車の旅。
でないとその日のうちに
松本に帰り着けないですから。
続きです。
で、どこまで話したっけ、
あそうだ
北千住駅ね。
ここで地下鉄から常磐線に乗り換えて、一路仙台へと向かうわけです。
ところでワタクシは警官がニガテです。
いやべつに何か後ろめたいことがあるわけではないんですが。
あ、あるか? いや、ないと思うぞ、多分。
なので視界の端に制服がいると、チロチロと見てしまうんですね、無意識に。
で、今回も不審者監視をしていた警官をチラチラ気にしながら歩いていたらですね、
目が合っちまったんです。
でもなんとか無事横を通り過ぎて暫し。ほっとした瞬間、
行く手をふさがれてました。しかも2人に。
以下、おおまかに再現。
け「荷物を見せてもらっていいですかね」
ワ「え?あ、はい」
け「電車の時間は大丈夫ですか?」
ワ「え、あ、まあ」
け「このリュックのサイドに光っている金属はなんですか
ナイフとかもってないですか」
ワ(とりだす)
け「なんですか、これは」
ワ「あ、鈴です。熊よけの」
け「熊よけの」
ワ「あ、こないだ山行ったときから入れっぱなしで」
け「ふーん(手にとって眺めている)」
ワ「南部鉄なんです、いい音がするんです。(何言ってんだ俺)」
け「このリュックの中身は?」
わ「カメラです」
け「開けてもらっていいですかね」(と、ペンライトで中を照らす。)
け「ありがとうございました。いや最近不審者とか多いでしょ、
アナタみたいにリュック背負って
アウトドアっぽい格好したひとはアレでね、ごにょごにょ(語尾にごし)」
わ(ここでなにか一言言っておかねば気が済まぬ)
け「ではもう結構です」
わ「色々不便な世の中になりましたね」(なんとか捨て台詞)
以上。
つまりアレですな。
要はワタクシが警官の前だと挙動不審になる癖と
(ただでさえお昼前の段階で酒が入っている)
小さいデイパックに荷物を収めようとして、
パンパンに不恰好なパッキングになったことと
ヒカリものたる熊よけ鈴(ごっついカラビナつき)を
外から見えるところに入れっぱなしにしておいたことと
なにより、いかにも旅のもの、というか、
流れ者的な雰囲気を漂わせていたのでしょう。
もうちょっと身なりに気を使おう。
ま、今回の警官はとてもソフトで感じが良かったことが救いでした。
(今回の、ってことは2回目かい!とツッコミ入れたあなた、
とんでもありません。これで3回目です)
そんなわけでいざ常磐線ジョーバンセン!
途中3回乗り継ぎ~。
車窓から
名にし負う常陸の国の沼沢地帯を抜け(沼、池が美しい)
日立の工場群を見て
遠く見ゆるは筑波山。
いわきでは羽織袴姿のワカモノに出っくわして、
明日が成人の日だったことを思い出し
日もとっぷり暮れた夕刻、仙台駅に到着。
上の画像左 なんだかカッコいい電車が停まっていました。
上の画像右 どこの空港か?と思う仙台駅コンコース
ホテルにチェックインして
東北最大の繁華街と言われる国分町へ。
自然と裏通り狭い通りに足が向くのは習性。
ま、それほど裏通りではないですが、
見つけたお店で
おまちかねの牛タン定食に
舌鼓を打ったのでした。
このお店
「味太助」
調べてみたら、
仙台牛タン発祥の地なんだそうで。
上の画像は、厨房内で圧倒的な存在感の
牛タンの塊。
すげえ。
始発駅 電光掲示群見上ぐ
酔いてネオンを彷徨うに似て
人は何がために酒を飲むか
酔うためである
人は何がために旅をするか
これもまた
酔うためである
というわけで
1/11より3日間の仙台ひとり旅に酔い痴れてきました記
おくればせながらご開帳~!
※
前述いたしましたとおり
「青春18きっぷ」なる因果なシステムを駆使しての
全て鈍行列車での旅。
まずはいきなり松本から高尾までの直通列車で
今回の旅は、その幕を開けました。
早朝、東の空に日の出の香りが満ちる頃に発し
長駆4時間ほど。
くどいようですが、鈍行列車で。
塩尻を過ぎると、中央線の列車は東よりに向きを変えます。
朝日に向かってひた走る列車の車窓は
どんどん明るくなっていきます。
画像は長坂駅付近だったと思います。
甲斐駒ケ岳です。
剣、甲斐駒、五竜岳
ワタクシが選ぶカッコイイ山ベスト3のうちの一つが
車窓いっぱいに広がっていますが
頭に被った雲のためか
紫色の光のせいか
いつもの精悍さには程遠い表情です。
きっと寝ぼけているのでしょう。
夜明け雲 甲斐駒 寝起きの武将かな
※
さて、列車は高尾に到着。
乗り継いだ中央線特別快速の車内は
ラッシュ時はもう過ぎたとはいえ
まるで異世界に迷い込んだように、通勤ムード一色でした。
もっとも周囲の乗客たちにしてみれば
ワタクシのほうが、異世界から迷い込んだように見えていたかもしれません。
この纏っている雰囲気の違いが
後にちょっとした事件に発展することなるとは思いも及ばず、
かつて首都圏通勤者であったことを思い出しながら、
口を開けて居眠りをしていたワタクシなのでありました。
ビルのガラスに映るニコライ堂を眺めながら、御茶ノ水で地下鉄へ乗り換え。
いや、千代田線なので
「新」御茶ノ水ですね。
しかも地下道で繋がっていて、歩くとすぐなのに、他の乗り場の名前が
「小川町」だったり
「淡路町」だったりして
本当に東京はセセコマシイ。
ただ、新御茶ノ水の駅のホームの壁面は
二十四節季にちなんだ壁画で彩られており
これがなかなか素敵でした。
これに関してはいい写真がとれなかったもんで
興味のある人は行って見てくれ。
そして千代田線は
ワタクシを北千住駅へと連れ込んだわけです。
次回へ続く
古墳見物の後は港湾地区(南港というのかな?)へ。
遠くに見えるキリンさんクレーンやら
工場へ直接高圧線を引き込むための
カッコいい形の鉄塔やらを
車窓から見物し
フェリーターミナルで一時下車。
旅にでたくなりますねぇ、この景色。
(今旅の途中であることは、謹んで棚にあげさせていただいております)
それにしても仔細に見ると
カーフェリーはとても小気味良く合理的にできているのがわかります
命を懸け、苦しきを耐えて、
やっとの思いを・・・
・・・するまでもなくたどり着いた
標高4.53m、日本一低い山「天保山」
・・・地面にめり込んでまっせ
三角点はん。
しかし、もうちょっと石段なり芝生の斜面なり、それらしいところを上ってたどり着くものだと思っていただけに、これはびっくり。本当にすぐそこは海なんですもん。
土盛れば 樹々が繁りて鳥も舞う
生命育み 人 神となる
最終日
相方のお父上の(スリリングな)ドライブで、
仁徳天皇陵に連れて行ってもらいました。
よくよく考えれば古墳なんて
「そんなとこ行ってどうする」的な場所の、最たるものなのではありますが。
でも行ってみたかったのですよ。
クルマでぐるりと半周し、正門(?)前から仰いでみれば
こりゃあどこからどうみても自然物。
上から見ると実はあの鍵穴の形をしているんだといわれても
にわかには信じがたい思いです。
前日見た自然物であるはずの畝傍山に
人工物臭さを感じてしまったことを思えば
なんという矛盾した印象であることか。
宮内庁が学術調査をさせてくれないので
これが仁徳天皇陵であることが証明できないためか
最近では「大仙陵古墳」と称されております。
これが人の墓であったとして
埋葬されているのは
生前良い人だったのかもしれないし
非道い奴だったのかもしれないし
平凡な人だったのかもしれないし
でも今となっては
彼(彼女かもしれない)のむくろを覆う土の上には
木々が繁り鳥歌い
周囲には
無数のカンサイジンたちが跋扈しているばかりです
彼女(彼かもしれない)の墓を
ここまで大きく作らせるほどの
生前の偉業(と言ってしまっていいと思います)がなければ
今頃この土地は、この国は、どうなっていたのでしょうか。
ご近所の方でしょうか
ご夫婦が柵の中へお賽銭を投げ入れ
深々と頭を下げていました。