葡萄畑の傍に庵を結び、日々徒然なるまま
このブログのシステムもよく理解できぬまま、
勢いで始めてしまったブログ。
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相変わらずわけのわからない事を言ってます。♪(by くるり)
というわけで、東京に買い物&うろうろツアーに行ってきました。
交通手段は、トラビスジャパンという旅行会社の格安バスにて。片道2000円也。
まあ、こういう激安ツアーバスの隆盛の陰で、昨年の安曇野観光の事故が起きてしまっているわけで、
利用することに対するモラル的な引っかかりはあるわけなんですが・・・。
ともあれそんな想いに関わらず、格安の悪魔は僕を東京へと連れ去ってしまったのでした。
高速バス、ではあるのだけれど、乗車場所の東急INN前に現れたのは、なんとマイクロバス。
運転手さんに予約名を告げて、あっさり乗車。6:25分定刻出発。
その後は、なるべくこまめにお客を拾うためであろうか、松本IC傍の駐車場、塩尻北IC、みどり湖PA、岡谷ICと、まさに各駅停車鈍行のようにじりじりと進んでゆきます。
次の諏訪湖SAに到着すると、ようやく大型バスへの乗り換えになります。この大型バスは、飯田・伊那方面から来たもので、ここで合体となるわけです。格安の裏にはこんな工夫があるんですね。
9:50 新宿駅西口スバルビル前着。
今回楽しみにしていたのは、本当は買い物などではなく(買い物は実は苦手)、都電荒川線に乗ること。
長いこと東京と関わって生活していたのに、この路線は乗ったことがなかった、というか、この沿線には用事がなかったのです。
時間だけはたっぷりあったので、新宿駅からぶらぶら歩いて小1時間、起点の早稲田駅に到着。
「都電」というと路面電車のイメージがあるんですが、まあ路面といっちゃあ路面なんだけど、中央分離帯につくられた専用路線といった雰囲気の中、電車は早稲田を出発。数百メートル離れた次の駅まで1区間だけ乗るおばあちゃんもいたりして、住民の「足」を実感したりします。
というわけで、東京に買い物&うろうろツアーに行ってきました。
交通手段は、トラビスジャパンという旅行会社の格安バスにて。片道2000円也。
まあ、こういう激安ツアーバスの隆盛の陰で、昨年の安曇野観光の事故が起きてしまっているわけで、
利用することに対するモラル的な引っかかりはあるわけなんですが・・・。
ともあれそんな想いに関わらず、格安の悪魔は僕を東京へと連れ去ってしまったのでした。
高速バス、ではあるのだけれど、乗車場所の東急INN前に現れたのは、なんとマイクロバス。
運転手さんに予約名を告げて、あっさり乗車。6:25分定刻出発。
その後は、なるべくこまめにお客を拾うためであろうか、松本IC傍の駐車場、塩尻北IC、みどり湖PA、岡谷ICと、まさに各駅停車鈍行のようにじりじりと進んでゆきます。
次の諏訪湖SAに到着すると、ようやく大型バスへの乗り換えになります。この大型バスは、飯田・伊那方面から来たもので、ここで合体となるわけです。格安の裏にはこんな工夫があるんですね。
9:50 新宿駅西口スバルビル前着。
今回楽しみにしていたのは、本当は買い物などではなく(買い物は実は苦手)、都電荒川線に乗ること。
長いこと東京と関わって生活していたのに、この路線は乗ったことがなかった、というか、この沿線には用事がなかったのです。
時間だけはたっぷりあったので、新宿駅からぶらぶら歩いて小1時間、起点の早稲田駅に到着。
「都電」というと路面電車のイメージがあるんですが、まあ路面といっちゃあ路面なんだけど、中央分離帯につくられた専用路線といった雰囲気の中、電車は早稲田を出発。数百メートル離れた次の駅まで1区間だけ乗るおばあちゃんもいたりして、住民の「足」を実感したりします。
そのうち軌道は、路面どころか普通の線路みたいな状態に。
と、いきなり捻りこむような急カーブ、そして画像ではわかりづらいかもしれませんが、なかなかの急勾配で、この区間に関して言うと、とても鉄道のルートとは思えません。
この坂を下りきると、またもやあり得ないような直角カーブを経て大塚駅前に到着します。
確かに東京は凸凹の多い土地であることを実感します。そういえば初めて銀座線で渋谷駅に到着したとき、なんで地下鉄のホームがビルの一番上にあるのか、わけわかんなかったもんなぁ。
その後はやはり中央分離帯の専用路線をたどりつつ、終点三ノ輪橋へ向けてひた走ります。
住宅街というか、いわゆる「下町」を走る路線だけあって乗客も生活感たっぷりで、運賃も全区間均一160円という使い易さもあってか、ほんとうに地元に密着した路線なんだなと感じます。以前はこの荒川線のような路線が東京に網の目のように張り巡らされていたと聞いています。どうして東京都はこんな便利な交通機関を捨ててしまったのでしょうか。モータリゼーションに伴う渋滞対策という理由も聞いたことがありますが、現在その目的を東京都は達しているのでしょうか。
複雑な気分の中、電車は終点三ノ輪橋に到着。
複雑な気分の中、電車は終点三ノ輪橋に到着。
と思っていたら、やっぱりネラっている部分もあるらしい。
(壁の広告に注目)
その後は上野まで行き、慣れ親しんだアメ横でお買い物。
あのごみごみした雰囲気は他にはありませんね、東京でいちばん好きな街のひとつかな。
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特に書くこともないな。
ま、別に無理して書くこともないんだけどね。
子供の頃、日記をつけていたんだけど、多分に親から強制されたもので、
たまにサボって書かないと、何日か記憶をたどって書かなければいけなかったのが面倒くさかったし、
なによりも義務感が出てくるとだめなんだよ。
義務を果たすってのがキライでさ・・・(←人間のクズ)
ま、でもせっかくブログを始めて、なんとなく、
なんか記事にしたいなって気はあるのよ。
えっと~。
あ、じゃあ、とりあえずプロフィール画像についてでも書いてみようか
「白馬大仏」というのが彼(↑)の名前です。
建立された正確な年代は不明ですが、おそらく昭和時代後期の作だと思われます。
「白馬大仏」といっても、長野県北安曇郡白馬村にあるわけではありません。
それどころか長野県にすらありません。新潟県にあるのです。ギリギリ新潟県です。「川」の向こうは長野県。そんな場所に彼はいます。そしてその「川」が、彼を数奇な運命に導くのです。
彼は道の傍に端座しています。その道は信州と越後を結ぶ数少ない街道のひとつで、148のNOを付されていました。
彼の前を流れる川は「姫川」といって、日本では珍しい、平地の湧き水を源流とする川です。
この、福寿草やかたくりや、水の中に咲く梅花藻(ばいかも)に彩られた源流を発した川は、白馬村内をゆったりと下り、まさに「姫」の名にふさわしい、たおやかな表情を見せます。・・・最初のうちは。
やがて五竜岳から流れ下る「平川」、白馬大雪渓に源を発する「松川」が合するあたりから谷も狭まり、渓谷と化していきます。
そこから先の様子はまるで、生まれの良い姫が悪い人々に囲まれて没落し、あばずれてゆくかのようです。
あばずれた姫は暴力的になり、やがては渓谷の淵を思うがままに削り取りながらうねうねと駆け下ります。
右や左の急斜面からは「悪い友達」たる沢たちが、雨のたびに大量の泥水を注ぎ込み、姫をさらに悪の道へと走らせます。
そして事件が起きるのです。
ある大雨が続いた後、姫は西の急斜面と結託して、とんでもないことを起こすのです。
荒れ狂った姫は、川沿いに伸びる鉄道「大糸線」の橋梁を破壊し、中流域のささやかな温泉「姫川温泉」「蒲原温泉」「猫鼻温泉」を破壊し、さらに姫と結託した西側の急斜面は、土石流によって川沿いの国道までも決定的に破壊してしまいます。
この破壊された国道こそが、彼の脇を通る「国道148号線」だったわけです。
ただ、この事件においては幸いなことに、彼も、彼が見守る「白馬温泉」も無事でした。
しかし、彼が守護する「白馬温泉」に引導を渡したのは、自然災害そのものではなく、むしろ自然災害に打ち克とうとする熱意ある人間と、その技術だったことは皮肉でした。
この事件の後、国道の流失部分をバイパスするように長大トンネルが掘られ、白馬温泉はそのルートから外れます。
白馬温泉沿いの旧国道も、やがて国道指定から外れるどころか流失部分の修復さえなされず、単なる国道の、袋小路のわき道と化してしまいます。
白馬温泉の観光の目玉として建立されたであろう彼でしたが、人の流れが絶たれた温泉場に対してできることとは、その行く末を見守ることしかできなかったのです。
そんなわけで、彼は今、廃墟か、廃墟寸前と化した建物たちに囲まれて、静かに川を見下ろしています。
「白馬大仏」とググってみると、それなりの記事につきあたります。彼を揶揄するような論調もあります。
たしかに全体のつくりの安っぽさ、顔の表情のユーモラスさ、脳天から突き出たチャームポイントの避雷針、そして周囲の寂れ具合、どれをとっても笑いのネタにしかなりません。
しかし彼の見てきた激しい自然災害と、その後の変転に目を閉じて思いをはせるとき、彼の白い巨躯は光り輝く存在に感じられます。さまざまな矛盾や不条理を超越した存在に思えてくるのです。
もう仏教とかなんだとか、そんなもの関係なしに、ただ感じるのは「愛」のみ。
もちろん目をあけてまじまじと見れば、やっぱり笑えてくるのですが。
でも大好きなんです。
彼に会いに行くには、桜の時期をおすすめします。
大糸線の「平岩」駅のホームから見上げる彼は、満開の桜に囲まれて幸せそうです。
ま、別に無理して書くこともないんだけどね。
子供の頃、日記をつけていたんだけど、多分に親から強制されたもので、
たまにサボって書かないと、何日か記憶をたどって書かなければいけなかったのが面倒くさかったし、
なによりも義務感が出てくるとだめなんだよ。
義務を果たすってのがキライでさ・・・(←人間のクズ)
ま、でもせっかくブログを始めて、なんとなく、
なんか記事にしたいなって気はあるのよ。
えっと~。
あ、じゃあ、とりあえずプロフィール画像についてでも書いてみようか
「白馬大仏」というのが彼(↑)の名前です。
建立された正確な年代は不明ですが、おそらく昭和時代後期の作だと思われます。
「白馬大仏」といっても、長野県北安曇郡白馬村にあるわけではありません。
それどころか長野県にすらありません。新潟県にあるのです。ギリギリ新潟県です。「川」の向こうは長野県。そんな場所に彼はいます。そしてその「川」が、彼を数奇な運命に導くのです。
彼は道の傍に端座しています。その道は信州と越後を結ぶ数少ない街道のひとつで、148のNOを付されていました。
彼の前を流れる川は「姫川」といって、日本では珍しい、平地の湧き水を源流とする川です。
この、福寿草やかたくりや、水の中に咲く梅花藻(ばいかも)に彩られた源流を発した川は、白馬村内をゆったりと下り、まさに「姫」の名にふさわしい、たおやかな表情を見せます。・・・最初のうちは。
やがて五竜岳から流れ下る「平川」、白馬大雪渓に源を発する「松川」が合するあたりから谷も狭まり、渓谷と化していきます。
そこから先の様子はまるで、生まれの良い姫が悪い人々に囲まれて没落し、あばずれてゆくかのようです。
あばずれた姫は暴力的になり、やがては渓谷の淵を思うがままに削り取りながらうねうねと駆け下ります。
右や左の急斜面からは「悪い友達」たる沢たちが、雨のたびに大量の泥水を注ぎ込み、姫をさらに悪の道へと走らせます。
そして事件が起きるのです。
ある大雨が続いた後、姫は西の急斜面と結託して、とんでもないことを起こすのです。
荒れ狂った姫は、川沿いに伸びる鉄道「大糸線」の橋梁を破壊し、中流域のささやかな温泉「姫川温泉」「蒲原温泉」「猫鼻温泉」を破壊し、さらに姫と結託した西側の急斜面は、土石流によって川沿いの国道までも決定的に破壊してしまいます。
この破壊された国道こそが、彼の脇を通る「国道148号線」だったわけです。
ただ、この事件においては幸いなことに、彼も、彼が見守る「白馬温泉」も無事でした。
しかし、彼が守護する「白馬温泉」に引導を渡したのは、自然災害そのものではなく、むしろ自然災害に打ち克とうとする熱意ある人間と、その技術だったことは皮肉でした。
この事件の後、国道の流失部分をバイパスするように長大トンネルが掘られ、白馬温泉はそのルートから外れます。
白馬温泉沿いの旧国道も、やがて国道指定から外れるどころか流失部分の修復さえなされず、単なる国道の、袋小路のわき道と化してしまいます。
白馬温泉の観光の目玉として建立されたであろう彼でしたが、人の流れが絶たれた温泉場に対してできることとは、その行く末を見守ることしかできなかったのです。
そんなわけで、彼は今、廃墟か、廃墟寸前と化した建物たちに囲まれて、静かに川を見下ろしています。
「白馬大仏」とググってみると、それなりの記事につきあたります。彼を揶揄するような論調もあります。
たしかに全体のつくりの安っぽさ、顔の表情のユーモラスさ、脳天から突き出たチャームポイントの避雷針、そして周囲の寂れ具合、どれをとっても笑いのネタにしかなりません。
しかし彼の見てきた激しい自然災害と、その後の変転に目を閉じて思いをはせるとき、彼の白い巨躯は光り輝く存在に感じられます。さまざまな矛盾や不条理を超越した存在に思えてくるのです。
もう仏教とかなんだとか、そんなもの関係なしに、ただ感じるのは「愛」のみ。
もちろん目をあけてまじまじと見れば、やっぱり笑えてくるのですが。
でも大好きなんです。
彼に会いに行くには、桜の時期をおすすめします。
大糸線の「平岩」駅のホームから見上げる彼は、満開の桜に囲まれて幸せそうです。
以前から構想はありました。
秋になって気温も下がり、天候も安定した頃に実行しようと思ってました。
で、本日(日付変わってるからもう昨日になるか)、計画実行のはずでした。
木曽路は奈良井宿への日帰りチャリツーリング。(片道40キロ超)
しかし、明日は木曽路だ!と意気込むワタクシの前に、大きな障害が立ちはだかったのです。
「小谷錦」
昨日の記事をご参照ください。
酔っ払ってうたた寝をして、朝方PC向かって、それからまた寝て、起きたらお昼・・・。
せっかく前回の休みにチャリを整備しといたのに・・・。
・・・ま、でも気を取り直して塩尻あたりまでは行ってみようと、ヨメをつれて南を目指したのです。
松本の盆地を取り囲む山が、木曽の谷へ向かって収束し、谷が狭まるあたり、
中央本線で言えば「洗馬(せば)」駅のあたりまで行き、そこから奈良井川に沿って北上して松本へ帰るというルートの予定。
あわよくば桔梗が原のワイナリー見学でもして試飲など・・・。(←反省の色なし)
*******************************
心地よい気温と天候のなか、チャリを走らせて薄川の橋に差し掛かり、仰ぎ見れば、
その名の通りの美しさの美ヶ原が聳え立ち、河川敷の紅葉も見事。
嗚呼、松本に移住してきてよかったなぁ。と思いながらなおもチャリを進めると、
左手の山の中にお寺の屋根が見える。
その付近の紅葉もすばらしいのですが、よくよく見ると、山すそから紅葉が一列になってそのお寺に突き上げている感じにも見える。
ほほ、これはなかなか雰囲気のよい参道であるに違いない。
というわけで早速寄り道決定。脇の谷間に突入。
で、案に違わず画像のようなすばらしい場所に到着したのでした。
寺の名は龍雲山 広沢寺。
小笠原氏の寺で、創建から五百数十年を経た、まさに「古刹」
寺の脇の谷の奥には葡萄畑が広がり、すでに実は収穫されているものの、葉は黄金色に色づき、
これまた金色の柱と化している大銀杏に守られた、総黒門(画像の場所)から参道に足を踏み入れると、極楽浄土への道というよりは、むしろキリスト教的な天国へと向かっている気分。
とはいえ、曹洞宗の寺なので、天国はもちろんのこと、極楽浄土ともあまり関係なさそう。
参道の奥に進むと石段があり、登ると本堂があるのですが、これが意外に新しいのです。
ただ、周りを囲む土塀などはかなりの年代ものであるし、全体として「古刹」と呼ぶにふさわしい雰囲気がありました。
鐘楼からは常念岳を中心とした飛騨山脈の山並みが美しく、常念岳の左肩には槍の穂先さえ飛び出して見えています。鐘楼にはベンチも設置されてあって、サービス満点。
でも、こんな寺で座禅を組んでも、僕なんか外の景色ばかりが気になって悟りなんか開けないんだろうな~。
「只管打座」には程遠い。
その後、産直市場に寄り道しているうちに意外に時間をロスし、往路は東側の山すその、やや起伏の多いルートを選択したことが裏目にでて、ヨメのテンションも下がり、速度も下がり・・・。
結局、駅で言えば「広丘」のあたりで南下を打ち切り、奈良井川沿いに松本へ帰還したのでした。
ええそうです。出遅れて、ルート選択も甘く、そのうえ寄り道ばかりで目標達成ならず。ワタクシの人生そのものですよ。
でも楽しかったからいいの。
ちなみに下がりきったヨメのテンションと、ワタクシに対する評価を回復するのに、マサムラのケーキが必要でしたとさ。
・・・あ、アップした画像を見てたら、黒門脇の石柱に「酒を飲んでの入山まかりならん」みたいなことが書いてあるなぁ。
・・・あ、地図を見てたら発見。広沢寺のちかくに清酒「岩波」の酒造所があるなぁ。
ここに行ってたらきっと試飲が・・・。
今日も「小谷錦」がうまい。
秋になって気温も下がり、天候も安定した頃に実行しようと思ってました。
で、本日(日付変わってるからもう昨日になるか)、計画実行のはずでした。
木曽路は奈良井宿への日帰りチャリツーリング。(片道40キロ超)
しかし、明日は木曽路だ!と意気込むワタクシの前に、大きな障害が立ちはだかったのです。
「小谷錦」
昨日の記事をご参照ください。
酔っ払ってうたた寝をして、朝方PC向かって、それからまた寝て、起きたらお昼・・・。
せっかく前回の休みにチャリを整備しといたのに・・・。
・・・ま、でも気を取り直して塩尻あたりまでは行ってみようと、ヨメをつれて南を目指したのです。
松本の盆地を取り囲む山が、木曽の谷へ向かって収束し、谷が狭まるあたり、
中央本線で言えば「洗馬(せば)」駅のあたりまで行き、そこから奈良井川に沿って北上して松本へ帰るというルートの予定。
あわよくば桔梗が原のワイナリー見学でもして試飲など・・・。(←反省の色なし)
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心地よい気温と天候のなか、チャリを走らせて薄川の橋に差し掛かり、仰ぎ見れば、
その名の通りの美しさの美ヶ原が聳え立ち、河川敷の紅葉も見事。
嗚呼、松本に移住してきてよかったなぁ。と思いながらなおもチャリを進めると、
左手の山の中にお寺の屋根が見える。
その付近の紅葉もすばらしいのですが、よくよく見ると、山すそから紅葉が一列になってそのお寺に突き上げている感じにも見える。
ほほ、これはなかなか雰囲気のよい参道であるに違いない。
というわけで早速寄り道決定。脇の谷間に突入。
で、案に違わず画像のようなすばらしい場所に到着したのでした。
寺の名は龍雲山 広沢寺。
小笠原氏の寺で、創建から五百数十年を経た、まさに「古刹」
寺の脇の谷の奥には葡萄畑が広がり、すでに実は収穫されているものの、葉は黄金色に色づき、
これまた金色の柱と化している大銀杏に守られた、総黒門(画像の場所)から参道に足を踏み入れると、極楽浄土への道というよりは、むしろキリスト教的な天国へと向かっている気分。
とはいえ、曹洞宗の寺なので、天国はもちろんのこと、極楽浄土ともあまり関係なさそう。
参道の奥に進むと石段があり、登ると本堂があるのですが、これが意外に新しいのです。
ただ、周りを囲む土塀などはかなりの年代ものであるし、全体として「古刹」と呼ぶにふさわしい雰囲気がありました。
鐘楼からは常念岳を中心とした飛騨山脈の山並みが美しく、常念岳の左肩には槍の穂先さえ飛び出して見えています。鐘楼にはベンチも設置されてあって、サービス満点。
でも、こんな寺で座禅を組んでも、僕なんか外の景色ばかりが気になって悟りなんか開けないんだろうな~。
「只管打座」には程遠い。
その後、産直市場に寄り道しているうちに意外に時間をロスし、往路は東側の山すその、やや起伏の多いルートを選択したことが裏目にでて、ヨメのテンションも下がり、速度も下がり・・・。
結局、駅で言えば「広丘」のあたりで南下を打ち切り、奈良井川沿いに松本へ帰還したのでした。
ええそうです。出遅れて、ルート選択も甘く、そのうえ寄り道ばかりで目標達成ならず。ワタクシの人生そのものですよ。
でも楽しかったからいいの。
ちなみに下がりきったヨメのテンションと、ワタクシに対する評価を回復するのに、マサムラのケーキが必要でしたとさ。
・・・あ、アップした画像を見てたら、黒門脇の石柱に「酒を飲んでの入山まかりならん」みたいなことが書いてあるなぁ。
・・・あ、地図を見てたら発見。広沢寺のちかくに清酒「岩波」の酒造所があるなぁ。
ここに行ってたらきっと試飲が・・・。
今日も「小谷錦」がうまい。