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転職に伴い松本に移住するまでの約6年間に出会った人々、経験したことの数々、それらがワタクシの人生に与えてしまった多大なる影響、そして変わってしまった人生・・・。
今の自分の原点がここにある、というのが言いすぎでなければ、白馬はワタクシの故郷と言ってもいいのかもしれません。
正式な実家のある湘南地方には(約25年住んでいた場所ですが)、なぜか全くと言っていいほどノスタルジーを感じませんし、「故郷」なんて呼ぶ気もしてきません。
それに対してワタクシが白馬に感じる望郷の念は、これはいったいどうしたことでしょうか。
いやはや。
※
久々に相方と休みが合ったこの日、昼過ぎからゆるゆるとお出かけしました。
お出かけしたと思ったら、いきなり寄り道。
以前から気になっていた「COLORS」というケーキ屋さんにお立ち寄り。
場所は浅間温泉のあたり。つまり、我が家を出て10分も経たないうちに邪念に抗しきれなくなった、というわけですな。
ここのいちごさんたちは、みんな違う顔をしているのが素敵。(撮影 相方)
え?ケーキをテイクアウトして車に持ち込んで、家までもって帰ったのか?ですって?
いえいえ、もちろん、片手にケーキをつかんで、わしわしとアンパンでも喰らうかのように頂きましたですよ。
運転しながら・・・。
ええ、もちろんマニュアル車ですよ。
ケーキ持った左手で、ギアをカクカクってね。
助手席では、相方がやたらカシャカシャとシャッター音を響かせています。
何を撮っているのかな、というわけで、以下、相方ギャラリー。
うーん、ヒマですねぇ。(以上、講評おわり)
さて、我々はまず四賀村(現松本市)に向かい、その後明科町(現安曇野市)、生坂村、八坂村(現大町市)、美麻村(現大町市)、小川村、鬼無里村(現長野市)を経て、白馬村に向かうわけです。
長野県の地理に通じている方からすると、松本から白馬に行くのになぜそんなアホなルートをとるかと訝しがられるところでしょうが、脇道廃道峠道、酷道険道ケモノ道などが大好きなワタクシからすれば、ごくごく当然のコース取りなんですと、胸を張って言いたいところ。
ただ、旧鬼無里村に関しては、ここを訪ねたいがために、ルートから外すわけにはいかなかったのです。
白馬にいるころ良く通っていました、信州名物「おやき」のお店。
信州に来て「おやき」を食べさせられて、「ああ、あれね、ワタシあんまり好きじゃない」という感想を持った方でも、ここのおやきを食べるとたちまちおやき道に開眼することができるという、奇跡のおやき屋なのです。
ほぼ2年ちかくご無沙汰だったのにも関わらず、オカミさんはワタクシの顔を覚えてくれていまして、オマケのおやきやら、漬けるのに失敗した野沢菜を油いためにしたものやら(これがものすごく美味しい)を振舞っていただきました。
ここに来て、おやきを食べてそば茶を飲んで、「ああ、帰ってきたなぁ」と思ったわけです。
その後はやっとこさ白馬村入り。
もうすっかり暗くなっていましたが、見上げると、信じられないくらいの高さに光る圧雪車のライトが、山の高さを教えてくれています。
ここで今も白馬で活躍する知人を訪ねました。
ホテル経営のオーストラリア人のところにヨメに行くことになった知人は、すっかりホテルのオカミとしての貫禄をつけていました。素敵なBARもオープンしておりまして、早速そちらに通されます。
バーテンダーのアダム君(国籍不詳)に、たどたどしい英語で好みを伝え、造ってもらったカクテルは、タンカレージンに、コアントローにグレナデンシロップに、あと何入れてたっけ、ま、すっきりビターなオトナの味。
苦すぎたら炭酸入れてね、というわけで炭酸で割ってみれば、さらにきりりと引き締まる。
隣で相方の飲んでいるものはフレッシュライムを使ったカクテルなのですが、
こちらはノンアルコールなので、帰りの運転の心配なし。
・・・いや、本当は相方のキケン運転癖に若干どころでなく不安はあるのですが、
そのへんはアルコールの勢いで寝てしまえばいいのであります。
すっかりごちそうになりましたが、
知人に幸多かれと祈りつつ、白馬を後にしました。
ここも白馬在住時によく通っていたところです。
道がはっきりしすぎていて、指道標もあり、手元の登山地図には参考コースタイムや危険箇所までばっちり記載されていて、なんだかレールに乗っかっているような気分になるからです。
地図を見るのが好きなことから登山の世界に入ったワタクシとしましては、たまには思いっきり地図遊びもしてみたいな、と最近思うようになりました。
そこで注目したのが、うちの裏山地帯。
里山なので、道に迷っても大事に至らなさそうでもあり、それでも地形が複雑で、林業の作業道やら、昔の集落間の交通路などが錯綜していて気が抜けません。頼りになる資料も国土地理院の地形図のみ。
これは地図あそびにはうってつけ。
そんなわけで、12月とは思えないほど暖かい、4連休3日目の昼さがり、ジュースとチョコレートをザックに詰めて出かけたわけなのです。
出発点とした林地区は、蔵や本棟造りの大きな母屋など、昔ながらの大きな農家が点在していて、歩いているだけで楽しい一帯です。
松本市街地よりわずかに標高も高いので見晴らしもよく、古い農家の建物と北アルプスの景色がとてもよく融け合っています。
この林地区の一角にある龍雲山広沢寺の脇の谷間沿いに登っていきます。
地図上ではあるはずの道も途中で消えうせ、ここからはコンパスとささやかな読図技術の出番。
それほど難しくない地形ではありますが、訓練のため、コンパスを駆使していちいち地図上の表現と実際の地形とを見比べながら登っていきました。
約1時間半後、到着。
三角点標識は、地面からわずかに顔を出しているだけのものなので、見つけられるか不安でしたが、地図を読んで「ここあたりだ」と思った地点から、ほんの数歩探しただけで見つけることができました。
我ながらナイスなナビゲーションだ。
といっても地図や測量の仕事をする人って、最低限これくらいのことはできなきゃいけないんでしょうけどね。
ところで、通常三角点は、測量のため見晴らしのよい場所に作られるものです。たしかにこの場所は、この稜線ではひときわ高い場所ではありますが、周りは木がいっぱい。
ただ、周りの樹木を見て思いました。
きっとこの三角点が設置された頃は、ここは木があまり生えていなかったのだろうと。
落葉松が多いのですが、この植物は、荒地にまず最初に根付くという特徴があるからです。
開拓者的な、という意味で「パイロット植物」と呼ばれることがあります。
まあでもここのカラマツは、植林である可能性のほうが高いかな?
そうそう、樹木で思い出した。
おかしかったのが、山の中にいきなりロープが張ってあり、その奥は線で引いたように全て赤松。
赤松林で立ち入り禁止、分かる人にはわかりますね、あの高級なきのこが取れるわけですよ。
さて、意外に難しかったのが帰り道。
同じルートでも進行方向と逆方向は、全く景色が違うということを忘れていました。
ときおり振り返って確認するのも重要ですね。
一本尾根を違えて降りるつもりでいたのですが、分岐点が分かりにくかった・・・。
ちょっと変なところに入りかけたけれども、なんとかリカバリー。
1時間後には無事下山できました。
というわけで本日は4連休の2日目。
修理に出しておいた登山用の雨具を引き取りに、「カモシカスポーツ」まで遠征。
片道15kmくらいはあると思うのですが、なにせ時間だけはたっぷり。お天気もいいしで、しばらくほったらかしにしておいた我が愛車ナダレ号(チャリンコ)にまたがり出発。
手には、久々のデジイチD80。(最近Ricoh GX100ばっかりだったので。)
カモシカスポーツのあるあたりは、いつも車で走り抜けるばかりなので、自転車のスピードで改めて見なおすと、なんだか初めての土地に来たようで新鮮です。
いろんないい景色に出会うことができました。
・・・特にいい写真は撮れなかったけど。
信州といえば冬、そんなイメージがあります。
神奈川県民であったころからずっとそうです。
信州と聞いて思い浮かべる景色のなかには、かなりの高確率で、このように軒先に柿簾を吊るした農家がありました。
まあでも実は干し柿の本場は南信州の方なのですけどね。
そして柿簾はこんなところにも。
ちょっと分かりづらいかもしれませんが、団地のベランダにも吊るしてありました。小学校の軒先にも吊るしてあったりして。
生活に根ざした文化というものは強いな、そんなことを思いました。
目にも鮮やかな赤い実。
いったい何の実だろう。
最初ぐみかな?と思ったのですが、そんなわけはありませんね。
調べたけれど、結局分からず。
それにしても今日は「赤」の日でした。
赤いジャケットを着て、赤い自転車にまたがり、赤い実を見て、帰り際に振り向けば、赤い夕空に山のシルエットがひときわくっきりと浮かび上がっていました。
そして、そんな一日を締めくくってくれた赤。(大糸線 北松本駅付近)
これからこの線路の北の果ての方で、大活躍してくれることでしょう。
1020時。
岩魚留小屋。
大きな木の下に隠れるように粗末な小屋がありますが、粗末といえど旅人にとっては大事な中継点です。
樹木の大きさと建築物の大きさの比に、自然のものと人工のものの理想的な存在比を見たような気がしました。
河原というものが存在しない狭い峡谷なので、ところどころ右の画像のような桟道も設けられています。
ただ、あの緑色の部分・・・
拡大するとこんな感じ。
おいおい、こんな美しいコケを踏みにじって行けと申されるか。そいつぁできねえ相談てもんじゃあござんせんか?
よく見ると多くの人々もこの桟道を通るに忍びなかったのでしょう、山側に踏み跡ができていましたので、ワタクシもそちらを利用させていただくことに。
次に現れた桟道は、コケがついていませんでしたが・・・いませんでしたが・・・・
おいおい、半分宙に浮いてますぜ、旦那。
まあ、桟道たるもの、半分宙に浮いていてこそ桟道なわけなのですが、こう材木が朽ちてぼろぼろになっていちゃあ、あんまりいい気がしませんな。
やはりここも山側の細い踏み跡を辿るわけなのですが、このような桟道や狭い場所をいくつか越えているうちに、気づきたくなかった事実に気づいてしまったのでした。
・・・右手の親指付け根が異常に腫れてる・・・
この事実に気づいたのは、岩魚留小屋を過ぎて、沢の右岸沿いの道を歩いているときでした。
崩れている場所を通り抜けるとき、右手を壁のホールドにあてがった際に激痛が走ったのでした。
おまけにこのあたりから先、崩れている場所続出。
ヤバイ場所にはフィックスロープが張ってあるのですが、もうそのころには進行方向右手にあるこれらのロープや岩の手がかりなどを使うことができないほど、手が痛み出してきていたのです。
ロープを使わずリスクを冒すか、痛みをこらえてロープをつかむか、無理な体勢で左手でロープを使って通過するか・・・、崩壊地点が現れるたびに煩悶し、結局えいやっと、選択肢その1でクリアしていくわけです。
さて。
崩壊地点が現れるたびに・・・、と書きました。
たしか岩魚留小屋から先は、清流のお散歩道という認識をしていたはずなのに、こんなにたびたび崩壊場所が現れるなんて・・・。
そりゃあ、たしかに豪雨で崩れた場所があるという情報は承知していましたよ。
だけどそういうところは「多少」だったはずでしょ・・・?
でも「多少」って、こんなのもタショーのうちに入るんですかぁ?(涙声)
いや、取り乱してしまった。
よく見れば河原に降りるために工事用の仮設階段が設置してあるではないですか。
ああよかった。
登り?
ああ、あの矢印の書いてあるほうに入っていってですね・・・
・・・よじ登れってことか。
それに河原に降りるのはいいけれど、これって大雨のときなんかは・・・。
いやいや、今日は晴れている。水かさも少ない。その事実が大事だ。つまらぬ心配などするものではない。
この先こそは道は平穏になる。手を使わないでもいい道になる。明るい未来はイメージをすることで現実になるのだ。
そうだ、その調子だ。
イメージどおりに穏やかな道が現れたではないか。
こんな穏やかな道がこの先もずっと続くことをイメージし続ければOKだ。
将来の自分をイメージすることこそ成功の秘訣なのだと、どの自己啓発本にも書いてあるではないか。
あれら崇高な自己啓発書物を信じて、世界中の人類がみんなで成功をイメージすれば 、世界人口60億、総・勝ち組セレブ億万長者になれるはずなのだ。
イメージは貧困を救う。イメージは平和をもたらす。イメージは世界を救う。
イメージ万歳。万々歳!
こんな崩壊地だってイメージさえあれば、イメージさえあれば・・・あれば・・・。
・・・でもね、この崩壊地を穏やかな道っていうイメージのままで歩くと危ないよ、実際。
どこに道がついているか、分かりますか?
手を使わないで通過することができそうな感じがしますか?
痛む右手で木の根をつかむとき、涙が出てきましたよ。
以降も難所は尽きることなく続きますが、しばらくしてようやく広い河原に降りることができました。
そこでは架橋工事の真っ最中。
巨大で無骨な黄色い重機も懐かしく目に映り、ディーゼルの排気ガスのにおいも甘く鼻腔を刺激します。
こんな重機が入ってこれる場所まで降りてきたんだ、ということは、あとはこの重機も通れるほどの道を下っていけばいいわけだな、と喜ぶワタクシは、視界の端に見たくないものを見つけてしまいました。
太いロープで作った巾着袋状のネットに包まれた資材・・・。
冷静に周囲を見渡してみれば、重機が通れるような道は、そういえば見当たりません。
つまりこの重機は・・・・。
ヘリで運ばれてきたのだ!
ネット巾着袋は、資材をヘリにつるすために使うもの。
きっと重機も部品ごとに分けられて、この場で組み立てられたものなのでしょう・・・。
さて我が進むべき道は、対岸の絶壁によじ登るように作られた梯子。
もう一度急斜面の中腹まで登り返さなくてはなりません。
それでも地図で現在位置を確認すると、林道まではあと少し。
このあたりに、古びた石碑がありました。
戦国時代、飛騨の三木氏の城が落城した際、脱出した奥方がこの地で殺害された故事を詠んだ、折口信夫の歌碑でした。
殺された奥方はどんな人だったのだろう、凶刃は彼女の背中に突き立ったのだろうか、胸に突き立ったのだろうか・・・。
林道合流点「二股」到着、ぴたり1200時。
あとはゆるゆる林道をくだること1時間30分。
島々集落にたどり着きました。
さて、温泉。
波田町営「竜島温泉 せせらぎの湯」は、下山口の島々集落より、梓川を挟んで対岸に見えているのですが、実際には遠くの橋を渡ってはるばる30分かけなければたどり着けないのがいやらしい施設です。
ひとっ風呂浴びて生き返ったワタクシは、呼んでおいた「相方タクシー」で一路松本へ・・・、のはずが、安曇野方面へのりんご買出しその他のお買い物ツアーに連れて行かれてしまったのでした。
下山口の島々集落の酒屋は品揃えが豊富でした。
信州の地酒・地ワインが多数そろっております。
思わず衝動買い。
その晩は、食卓がゴージャスな雰囲気になりました。
画面はじっこに見えているハッポー酒のことは内緒ね。
それにしても・・・・
今になって思うのですが、もうちょっとマジメに情報収集しておけば、あの道が数年前に大豪雨災害に遭って、道の復旧がままならぬことなど事前につかんでおけたはずなのに・・・。
全く油断していました。
で、手はどうしたかって?
んー、腫れは2・3日で引いたものの、いまだにおさえると少し痛むし、違和感もある。
もしかしたら骨にヒビくらい入ったかな?
・・・ん?病院?
まあ、死にはしないでしょ、ははは。(←大の医者ぎらい)
そんなわけで、最後は大反省の山旅だったのでした。
しかも上高地側と比べると、反対側は突然道の状態がワイルドになってくるのです。
この徳本峠へは、上高地側から入ってまた上高地側へ戻る人が多いため、道の踏まれ方や整備状態に反対側と差があるのは当然の話です。
ちなみに峠まで、上高地から入ると標準3時間弱(河童橋起点)、反対の島々集落から入ると6時間近くかかります。
それでもワイルドとはいえ、それはあくまで「比較的」の話で、時折道が崩れかけて幅が著しく狭くなっているところもあるのですが、充分に周囲の森の景色を眺めながら下る余裕のある程度です。
話に聞いていた、豪雨で崩れているというのはこのことなのかな?と、やや崩れかけて道幅の狭くなった道を歩きつつ、それでも大したことないので、いつものとおり口を開けて景色を眺めながら下っていましたが、やはり油断はいけません。やってしまいました、尻餅。
尻はともかく、とっさにバランスをとろうと突いた手を、硬い岩の角に強打。
しばし悶絶。
気を取り直して立ち上がり、又下りだしますが、どうにも手が痛い。右手の親指の付け根のあたりが。
ただ、周囲の美景に励まされているうちに、痛みも薄らいだような忘れかけたような、そんな気さえしてくるのでした。
森に日が差し込むと、地を覆う笹がプラチナのように輝きます。
黄金と白金でできた古代の宮殿を発見したトレジャーハンターよろしく、得意満面の笑みでなおも下ってゆきます。手の痛さはこの時点でもう気にならない程度にまで回復。
やがて行く手からは、流れる水の音が聞こえ出しました。もうすぐ沢筋に降りるのです。
九十九折の急坂下りからはこれで解放されます。あとは清流沿いの穏やかな散歩道を残すのみ。
沢筋まで下ると、思っていたとおりの清流と穏やかな下り道です。
この先の平穏と安寧を約束してくれるかのような美しい風景に、ここまでの疲れも、強打した手の痛みも、すっかり癒されていました。
上の画像は「岩魚留の滝」。
さすがに下流の魚はここより上流には登っていけないようです。
つまりここから先は「下界」ということになるのかな?
やっと下界まで無事に降りてこられました。
この先しばらくあるのですが、ここまで来てしまえばもう安心ということでしょうか。
次回、安心な道を下るレポ。
剋目して待て。