葡萄畑の傍に庵を結び、日々徒然なるまま
このブログのシステムもよく理解できぬまま、
勢いで始めてしまったブログ。
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9:40
休憩の後、槍沢ロッヂを出発。
槍本峰が姿を見せたのは、ほんとうに一瞬だけでした。
しかし代わりにこの景色。
歩けば山、歩けば、花。
道端に屈みて花に道問へば ただまつすぐに上へと答ふる
しかしどうしたことか、身体が重たいのです。
歩き始めて4時間以上。
もうそろそろ、荷が身体の一部になって、
足が軽くなっていてもよさそうなころなのに、
今日は身体とザックが仲違い。
なかなか一つになってはくれません。
歩いては止まり、歩いては倒れ、
いざるように進んでゆきます。
それにアブがひどい。
ちょっとでも立ち止まると、たくさんのアブが身体にたかりだします。
へたりこんで休憩している時など、
こちらに追い払う気力がないのを良いことに、
顔にも頭にもぶんぶん、ぶんぶん。
まあ、刺したり悪さしないので、慣れれば可愛いものなのですが、
耳元に来られるのは、ちょっとね。
※
「いやあ、アブがひどいですね」
と、人懐っこそうな笑顔の上に、こちらと同様アブを数匹飼っている男が一人。
この男、ワタクシと同じテン泊装備、歩くスピードもだいたい一緒。
彼がヘタればワタクシが抜き、ワタクシがヘタれば彼が抜き、
そのうち道連れになってしまった、福岡から来たT君です。
彼は稜線より200m下の「殺生ヒュッテ」のテン場泊まりの予定だということ。
ワタクシは稜線上の「槍ヶ岳山荘」まで行く予定なのですが、
どうもこの身体の辛さからすると、
その高度差200mが果てしない距離に思えてきます。
どうしよっかな、ボクも殺生泊まりにしようかな。
どっちにしてもヤリは射程距離だしな。
どーしよーかな、どーしよーかな。
などと考え登っていると、
突如ヤリが現れました。
画像は、見え始めてから
少し登った先の
「坊主岩小屋」付近。
槍ヶ岳開山の祖、
江戸時代の僧、播隆上人が
使ったとされる岩小屋です。
岩のくぼみに
大きな岩が覆いかぶさり、
居心地が良さそうですが、
彼はここで何十日も
念仏を唱えていたとか。
画像右端の稜線付近に
殺生ヒュッテが見えます。
(わかるかな?)
画像には写っていませんが、
ワタクシが目指すのは、
ヤリの、向かって左脇にある
槍ヶ岳山荘のテン場です。
そのわずかな差がつらい。
どっしよっかな~。
はてさてどうしたものかと思っているうちに、
早くも殺生との分岐が目の前に迫ってきました。
口では、T君に、じゃあそろそろ、気を付けて、なんて言いつつも、
心の裡では、もうこのへんにしようよ、などと弱音たらたら。
ところが
殺生との分岐に達したところで、この期に及んでのT君の爆弾発言。
「やっぱ僕も上まで行きますよ」
「・・・はい?」
「せっかく仲良くなったんだし、T君につきあって殺生泊まりにしたんだよ」
という言い訳を封じられたワタクシは、
果たしてその動揺を完全に隠し切れていたのでしょうか。
この一歩 この一蹴りが
重力を振り切り
空へ向かふと信ず
道はいよいよ九十九折れ、
稜線までの最終区間です。
道が折れる度に立ち止まり、
何度か折れると座り込み、
急な斜面なので下ばかり
向いていたのですが、
ふと見上げると、
目的地はもう目の前。
だけどそのわずかな距離が
遠い、遠い。
だけど後ろを振り返ると
いつもは安曇野から
見上げてばかりの常念岳が、
もうオレより高いところまで行ったんだ、あと少しだよ。
と、背中を押してくれます。
※
あそこまであと何歩?
いち、に、さん、し、・・・
・・・あれ?いまは何歩目?
まあいいや
とにかく前へ・・・。
右、左、みぎ、ひだり・・・
15:30 槍の肩到着。
稜線まで達しました。
その先が見えています。
飛騨側は雲の大波がうねっていました。
T君もいい顔してました。
雲の波にさらわれぬよう、岩の陰に幕営準備完了。
靴を履いたままテントにもぐり込み、足はテントの外に投げ出して、
しばしまどろんでいました。
※
そんなわけで、「破」の巻はここまで。
ずいぶん長くなってしまったね。
ここまで読んで頂いた方、どうもありがとう。
さあ、いよいよ次号、ヤリの穂先へ・・・!
休憩の後、槍沢ロッヂを出発。
槍本峰が姿を見せたのは、ほんとうに一瞬だけでした。
しかし代わりにこの景色。
歩けば山、歩けば、花。
道端に屈みて花に道問へば ただまつすぐに上へと答ふる
しかしどうしたことか、身体が重たいのです。
歩き始めて4時間以上。
もうそろそろ、荷が身体の一部になって、
足が軽くなっていてもよさそうなころなのに、
今日は身体とザックが仲違い。
なかなか一つになってはくれません。
歩いては止まり、歩いては倒れ、
いざるように進んでゆきます。
それにアブがひどい。
ちょっとでも立ち止まると、たくさんのアブが身体にたかりだします。
へたりこんで休憩している時など、
こちらに追い払う気力がないのを良いことに、
顔にも頭にもぶんぶん、ぶんぶん。
まあ、刺したり悪さしないので、慣れれば可愛いものなのですが、
耳元に来られるのは、ちょっとね。
※
「いやあ、アブがひどいですね」
と、人懐っこそうな笑顔の上に、こちらと同様アブを数匹飼っている男が一人。
この男、ワタクシと同じテン泊装備、歩くスピードもだいたい一緒。
彼がヘタればワタクシが抜き、ワタクシがヘタれば彼が抜き、
そのうち道連れになってしまった、福岡から来たT君です。
彼は稜線より200m下の「殺生ヒュッテ」のテン場泊まりの予定だということ。
ワタクシは稜線上の「槍ヶ岳山荘」まで行く予定なのですが、
どうもこの身体の辛さからすると、
その高度差200mが果てしない距離に思えてきます。
どうしよっかな、ボクも殺生泊まりにしようかな。
どっちにしてもヤリは射程距離だしな。
どーしよーかな、どーしよーかな。
などと考え登っていると、
突如ヤリが現れました。
画像は、見え始めてから
少し登った先の
「坊主岩小屋」付近。
槍ヶ岳開山の祖、
江戸時代の僧、播隆上人が
使ったとされる岩小屋です。
岩のくぼみに
大きな岩が覆いかぶさり、
居心地が良さそうですが、
彼はここで何十日も
念仏を唱えていたとか。
画像右端の稜線付近に
殺生ヒュッテが見えます。
(わかるかな?)
画像には写っていませんが、
ワタクシが目指すのは、
ヤリの、向かって左脇にある
槍ヶ岳山荘のテン場です。
そのわずかな差がつらい。
どっしよっかな~。
はてさてどうしたものかと思っているうちに、
早くも殺生との分岐が目の前に迫ってきました。
口では、T君に、じゃあそろそろ、気を付けて、なんて言いつつも、
心の裡では、もうこのへんにしようよ、などと弱音たらたら。
ところが
殺生との分岐に達したところで、この期に及んでのT君の爆弾発言。
「やっぱ僕も上まで行きますよ」
「・・・はい?」
「せっかく仲良くなったんだし、T君につきあって殺生泊まりにしたんだよ」
という言い訳を封じられたワタクシは、
果たしてその動揺を完全に隠し切れていたのでしょうか。
この一歩 この一蹴りが
重力を振り切り
空へ向かふと信ず
道はいよいよ九十九折れ、
稜線までの最終区間です。
道が折れる度に立ち止まり、
何度か折れると座り込み、
急な斜面なので下ばかり
向いていたのですが、
ふと見上げると、
目的地はもう目の前。
だけどそのわずかな距離が
遠い、遠い。
だけど後ろを振り返ると
いつもは安曇野から
見上げてばかりの常念岳が、
もうオレより高いところまで行ったんだ、あと少しだよ。
と、背中を押してくれます。
※
あそこまであと何歩?
いち、に、さん、し、・・・
・・・あれ?いまは何歩目?
まあいいや
とにかく前へ・・・。
右、左、みぎ、ひだり・・・
15:30 槍の肩到着。
稜線まで達しました。
その先が見えています。
飛騨側は雲の大波がうねっていました。
T君もいい顔してました。
雲の波にさらわれぬよう、岩の陰に幕営準備完了。
靴を履いたままテントにもぐり込み、足はテントの外に投げ出して、
しばしまどろんでいました。
※
そんなわけで、「破」の巻はここまで。
ずいぶん長くなってしまったね。
ここまで読んで頂いた方、どうもありがとう。
さあ、いよいよ次号、ヤリの穂先へ・・・!
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