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酸、苦、甘、辛、鹹、これすべて口中で完成させて「美味」と。
ところで日本酒は偉大ですね、「鹹」以外はすべてを含んでいるのですから。
ただ足りないものは足りない。
「白鷹」で五味のうち四味まで完成させたワタクシは、鹹を求めて通りに出ますと、鼻腔を突くは干物屋の匂い。そこではご試食用に干物を焼いて大盤振る舞いの最中でござんした。人だかりができております。もちろん人だかりにまぎれて秋刀魚の干物などを頂戴仕り、再び通りに出ますと、口中「鹹」のみが際立っております。つまり調子に乗って食いすぎた。買いもしないのに。
ここで罪滅ぼしにこの干物屋「志州ひらき屋」のPRを。
とにかく、そんじょそこらの干物とは違うおいしさで、お値段もお手ごろ。発送もしているので、伊勢にお立ち寄りの際にはぜひどうぞ!いや、ほんとにお勧め。買わなかったのは旅程の都合ですって。
で、口中で肥大化した「鹹」を鎮めるべく、ならびにあるお店で「おからドーナッツ」を食す。
口中が静まると、今度は空腹感が際立ってきて、居並ぶ店舗の中で、一番見栄えのしなさそうな店を選んで名物「伊勢うどん」を食す。店の名は忘れた。
「伊勢うどん」は単品で400円と安価。麺は讃岐のようなシコシコではなく、太くぶよぶよとした感じなのですが、ぶっかけてあるドロッと濃いだし汁に不思議と良く合いました。
今回は、これも名物「てこね寿司」との900円のセットを賞味します。てこね寿司は簡単にいうと、かつおのづけ丼ですね。
なんか食ってばっかりなようですが、ちゃんと呑んでもいます・・・ではなくて、伊勢組紐のお店だって覗いたりしてますよ、覗いただけだけどね。でもおじさんが店の奥で組みひもを作っているのを見学できたりして、なかなか良い経験でした。
さて、では本日最後の目的地「月読宮」へ。
そんなわけで、おかげ横丁になだれ込みます。
野次喜多の時代の精進落としとしゃれ込みながら、往時を彷彿とさせる風景に再現された町並みをそぞろ歩きますと、時は午の刻を少し回ったあたり、目に付くものは食い物屋の看板ばかりなり。というか、この横丁、おそらく9割方が食い物屋関係と見受けられます。
まずは松阪牛丼やステーキ丼のお店、そして伊勢うどんや「てこね寿司」のお店、おからドーナッツのお店、香ばしい匂いを漂わせる干物屋などなどなどなど・・・。
それらが燦然と居並ぶ中に、ひときわ輝く「白鷹」の看板。
をを!「白鷹」と云へば、神宮の御料酒なりけり。伊勢まで参りて、なじかはこのお神酒を味あわでおくべきとて、取るもとりあへず店の中に入りて候・・・と、興奮のあまり頭は古文調になりつつ(文法的整合性は気にしないでください)、利き猪口一杯五勺の酒を求むるぞかし。
なみなみと注がれた酒を手に取ろうとすると、お姐さん、「まずはお口を持っていって啜ってください」とのこと。確かに!手で持ったらこぼれるわな、この量。酒の一滴は血の一滴というではないかとて、得たりとばかりに身を屈め、ずずずいっと啜ります。嗚呼、口中にあふれ、鼻腔を通り、五臓六腑に染み渡るこの御神徳!ここに至って我が身に天照坐皇大御神が降臨したのであります・・・なんていうと宮内庁の人に怒られそうですね、ごめんね、陛下。
ああ、興奮を思い出すあまり「白鷹」だけで長文になってしまった・・・。
「精進落とし」残りは次回。
外宮から内宮へは三重交通のバスで。
乗ったのが臨時便だったからなのでしょうか、車両はハイデッカーの観光バス。わずか十数分の旅路なのに。
さて、内宮へ。
まずは五十鈴川に架かる橋を渡ります。
この橋の両岸にある鳥居も、御遷宮の際、不要になった部材のリサイクルだということです。
五十鈴川の橋にさしかかると、そこはもう神代の世界。
川幅が思っていたよりも広く、水の流れも悠々として、しかも両岸はこんもりとした森。一気に現代文明が遠のいてゆきます。
川べりで伊邪那岐命がみそぎをしているのが見えるかのようです。
今上か、昭和か、確認しませんでしたが、陛下お手植えの松にも拝謁。
伊勢の神様は相当なグルメらしく、米から鮑から塩からすべてブランド指定。もちろん相手が神様なだけあって、今時流行の偽装なんて通用しません。先ほどお参りした外宮の祭神豊受大御神は、内宮の天照大御神にお食事を提供する神様という位置づけだそうで、苦労の程や忍ばれます。
この画像の建物はその名も「鮑調整所」。他にも稲の穀倉があったりします。
すこし離れたところには、専用の塩田もあるそうです。
神宮にお参りして、一番見てみたかったのが、御遷宮のための代替地。(新御敷地)
ちょうど同じ大きさの敷地がとなりにあり、右にまします神様が、20年後にそのまんま左にいくんだな、ということがダイレクトに伝わってくる。なんだかその直截性がすごい。
いや、なんだか言葉では感動がよく伝えられないのですが、現在でこそなんにもない新御敷地ですが、未来のある時期になにかがあることが約束されている、しかもその「なにか」とは他でもない神様なわけで、それこそなんだか「すぴりちゅある」なものを感じてしまった僕なのでした。
ちなみに上の画像は風日祈宮(かぜひのみのみや)。やはり風雨の神様のお社です。
この風日祈宮のみならず、もちろん御正殿、御正宮にもこの代替地が用意されているのですが、こちらは規模が大きすぎて画像ではよく雰囲気が伝わらないので、手ごろな大きさのかぜひのみのみやという、読みにくくも覚えにくい名前のお社の画像をのっけてみました。
余談ですが、ここへは五十鈴川の橋を再度渡ってたどり着くのですが、
この橋の名が「かぜひのみのみやのはし」となり、2度タイプミスをしてしまったほどの分かりにくい名前となります。ためしに早口で3回言ってみましょう。
では、次、お待ちかねの精進落とし。
お伊勢参り、いよいよ本番です。
まずは外宮。
型どおり御正殿にお参りをすませ、次なるは、祭神豊受大御神の荒御魂たる多賀宮、元寇の際に神風を吹かせ、先の大戦ではサボった、風の神様、風宮におまいりして再び御正殿前へ。
ここで相方が「なんじゃこりゃ」。
これに関わらず、参道沿いの、なんてことない空き地に注連縄が張り巡らせてある場所があったりします。説明もなにもなしで。
不思議がっているところ、御正殿前の鳥居のところに、粋な唐傘をさした神職の方がいるのを発見。
相方が突撃インタヴューを試みる。
神職の方のお話 その1
これは三石(みついし)と言って、御遷宮の際の祭礼のときに使う祭具を設置する場所で、もうずいぶん古くからあるらしい。
神職の方のお話 その2
御遷宮に使う材木は、元は神社の森から切り出していた。だが無計画な伐採だったため、次第に他の場所のものを使うようになり、今は木曽にある、専門に管理している森から調達している。
ただ、明治時代から、神社の森の復活に向けた取り組みが始まっていて、次回の御遷宮からはオリジナルの木材を使うことになるという。
神職の方のお話 その3
木材は数年間水に漬けて脂分をとり、その後乾燥させて、ようやく用いられるようになるという。
つまり5年後の御遷宮に使われる木材は、現在の時点ですでに加工中ということになる。それどころか、御遷宮が終わるとすぐに次の20年後に向けての準備が始まるのだという。
神職の方のお話 その4
建物はすべて釘一本使わない「組み立て式」。
御遷宮の後は、全国さまざまな神社に部材が引き取られていく。
もしかしたら近くの神社の社殿や鳥居は、元は神宮の社殿だったのかもしれないということ。
この話をされるとき、神職の方は「日本人は昔からリサイクルという素晴らしい考え方を持っていまして・・・」と、実に誇らしげに前置きをされていました。聞いているこちらまで、なんだか誇らしい気分になりました。
そのほかにも、御正殿前の小さな建物(8畳2間くらい)の建築費だけで3千万円することとか、案内板などもっと充実させたり、QRコードによる携帯への情報発信などしたいけれど、上層部となかなか考えが合わないこと、最近のテレビの影響で「スピリチュアルなところはどこですか」(彼は「すぴりちゅある」の部分をわざと噛みながら言っていた)などと聞いてくる輩がいること・・・などなど、お忙しい中、たくさんのお時間を割いていただき、貴重なお話をたくさんしていただきました。本当に神宮に誇りを持っていらっしゃるのだなと感じました。
神宮のあるこの国に生まれてよかったと感じさせてくれた彼は、本当は外宮の神様の化身だったのかもしれません。
今年はよい年になりそうだ。
いざ、内宮へ。
塀の内側、鳥居の脇の小さな建物。
建築費だけで3000万円。
答志島からの帰りは和具の港から「高速船 王将」で。
往路は少し離れた桃取港へ迎えに来てもらいましたが、今回は徒歩数分の桟橋からの乗船です。
泊まった民宿で切符をきってもらい、いざ乗船。
鳥羽の佐田浜港に係留中の王将
この船は和具の港の同名の釣具屋の所有で、市営定期船と比べると、例えて言えば路線バスとマイクロバスくらいの違いがあります。なかでもマイクロバスっぽく感じたのが、操舵室が独立してなくて、客室の一端にあること。
こんな感じ。もはやこれは「運転席」。
でも船の操舵を間近で見られるのは感激です。
フロントウィンドウの真ん中についている丸いものは、車で言うところのワイパー。わっかの中の羽が高速回転して視界を確保するもので、この日の大雨の中、威力を発揮していたようでした。
運転手・・・ではなかった、操舵手の右手にあるレバーがスロットルで、奥に倒すと全速前進です。
途中、突然レバーを手前に戻して減速したので、何事かと不思議がっていたら、説明をしてくれました。
牡蠣や海苔などの養殖場の中を突っ切る際、近くにいる作業用の小船が航跡の波で転覆しないようにとの配慮だそうです。
そんなこんなで十数分後には佐田浜の港に到着しました。
前夜には気づきませんでしたが、港の待合室には土産物屋や切符売り場などに混じって、「処方箋受付」のコーナーが。本土とは僅かな距離とはいえ、「離島」に暮らすための工夫が見られました。
また、隣接する土産物センターのような建物にある飲食店が、雰囲気といい、メニューといい、店頭のサンプルといい、実に「昭和」な雰囲気で、よござんした。確実に30年前にはタイムスリップできます。