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葡萄畑の傍に庵を結び、日々徒然なるまま  このブログのシステムもよく理解できぬまま、 勢いで始めてしまったブログ。
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「ことば」なる菌糸で心を拐(かどわ)かす げに文学はきのこなりけり


今日のお話は、最近ハマっている、
QBBのブラックペッパー味のチーズのこと、

・・・・ではなくて、

知人のネイチャーガイドが、こんな本を貸してくれました。
というお話。

ぱらぱらとめくってみますと

短編集とか、評論集とか、そういった本ではなく、
ただただ、きのこに関して、こんな人が、こんな作品を残してるんですよ、
ということを、作家名50音別で、
古今東西問わず、
古典、小説、評論、エッセイ、漫画、詩歌などなど、
ジャンルの区別なく、ある意味節操なく、
ただひたすら網羅してある、
まあ、辞典のようなものでした。

しかしながら、かなり没頭してしまっています。



きのこに関する文学、芸術は、どうにも不思議なものが多いようです。
なぜなんでしょう。

もしかしたら、きのこって、
人間からもっとも遠い、理解し難い生き物なのかもしれませんね。



そんなキノコの不思議な世界。
この機会に、けっこうお気に入りのサイトをご紹介しましょう。

冬虫仮装館の秘密

折に触れては、ぼやっと眺め、わけの分からない恐怖と恍惚を楽しんでいます。



さて、前回の記事。
どうやら目を凝らしてカシオペアを探していただいた方もいらっしゃったようで。
しびれを切らしてコメントいただいた、みみさんちゃーさん
下の画像でわかるかな?

(基本的に同じ画像ですが、小さい光を除いて分かりやすくするため、
コントラストなどいじってあります)

265d8f3a.JPG

この縦になってるWの、向かって左手にカシオペア様の頭があります。
彼女は、ゆるくバンザイした両手に鎖を繋がれ、そらから吊るされているのです。
この、バンザイしてる腕と胸の部分が、Wに見えるわけですね。

ちなみに向かって上のほうに夫のケフェウス王、
右のほうに娘のアンドロメダ、
下のほうに、勇者ペルセウス。
神話の登場人物勢ぞろいの夜空なのです。
(ほかにもバケクジラとかペガサスとかいます)
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以前はクルマが好きだった時期がありました。
フェラーリやらポルシェやら、そんなクルマにも憧れたりしたものです。

でもいつのころからか、少なくとも信州に移住してきたあたりにはもうすっかり、「クルマは道具」、と割り切るようになっていました。
本気で「軽トラのある生活」に憧れたりもするほどです。

そんな風な価値観に落ち着いたのにはいろいろ理由があるのですが、とある自動車ヒョーロンカの影響も大きいものがあります。

福野礼一郎

自動車雑誌を読むような方々の間では賛否両論あるこの方ですが、物理法則に則って理路整然とクルマを一キカイとして解説するその評論手法(但し毒舌、但しほめる時はベタほめ)に、ワタクシは非常に感銘を受けたわけであります。目からウロコが落ちる、というのはまさにこのことを言うのでしょう。

彼の論法で、「クルマはキカイだ」という命題を強烈に与えられてしまうと、「キカイは道具だ」という頭の中の常識と共鳴して、「よってクルマは道具だ」と認めざるを得なくなってしまうわけです。

そうなると、ワタクシの生活、ひいては人生において必要なのはどんなクルマかどんな道具か。
ポルシェやフェラーリでないのは当たり前ですね。
人生を「そっち方面」に変えようと思わない限り。

で、最近図書館で見つけて読んだ本。
「そっち方面」のヒトたちが、ポルシェやフェラーリを「道具」として使いこなし、演じるドラマ。
自動車用語満載、数字満載ではありますが、そんなところは適当に読み飛ばしたとしても、ひたすらに「面白い」小説でした。

題名「バンザイラン」
著者は他ならぬ福野氏であります。

但しワタクシの趣味的に、小説としては買って蔵書にしたいと思うような一冊ではありませんが。
井伏鱒二の小説に「白毛」というものがあります。

主人公が釣りをしていたら、釣り糸の代わりに白毛を使ったほうが具合が良いという結論に達した青年達に、よってたかって白髪をむしられるという、まことにひどいお話で、たしか最後は下ネタで締めくくられていたはず。

というわけで本日のお題は「白髪」。

ワタクシ、若い頃からいろんな人に出会いまして、一つ達した結論がございます。
「オレはこんな苦労をしてきた」なんて声高にいう人は、実は言うほどの苦労はしていないんじゃないかと。
表向きニコニコしてたり、ヘラヘラしてたり、ヌボーっとしてたり、飄々としていたりする人に限って、よくよく話を聞いてみると、味の濃い人生を送っていたりする、そんな人たちが経験してきたのが、変な言い方ですが「本物の」苦労なのではなかろうかと。苦労は人知れずしてこそ本物。

言わずとも 背中で語る 幾星霜
・・・そんな感じの漢になりたいと思いつつ、でもえへらえへらとなんとなく過ごす毎日。

ところでワタクシは、年齢より若く見られることが多々あります。
喜んでもいいのかもしれませんが、結果、損をしているなあと感じることも多く、複雑な気分です。
先日も実家の母上に言われてしまいました。
「そのトシで白髪の一本もないなんて、苦労が足りてないんじゃないの」

「苦労が足りてない」それは確かにその通りでありましょう。
でもね、母上。「白髪の一本もない」とは、それはまったくの間違いですよ。

2年ぐらい前でしょうか。
ある日、鼻腔の発掘調査をしていると、なにやら出土品の中に、細かい魚の小骨のようなものが突き出ているのを発見いたしました。研究室にて分析してみると、それは白いハナゲであることが判明。
あわてて鏡を覗き込んでみると、いつの間にそうなったのか、鼻の穴の中が真っ白。

なんと、ハナゲだけはロマンスグレイの渋いオヤジになっていたのです。


・・・違う。

何かが違う。

たしかに、人知れずにじみ出る苦労のあと、みたいなものには憧れていましたよ。
でもそれは例えば、口元のちょっとした皺とか、背中ににじみ出る雰囲気とか、そういうダンディなものを考えていたのであって、こんなネタ的なものが欲しかったんじゃないやい、神様。

言わずとも ハナゲで語る 幾星霜

はぁ、ワタクシの人生、どうしてこんなんなんでしょう。

それにしても鏡の前で、鼻の穴をおっぴろげて中を検分している光景は、傍から見ればさぞや滑稽であったことでしょうな。

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「桜の花が咲くからだよ」
「桜の花と約束したのかえ」
「桜の花が咲くから、それを見てから出掛けなければならないのだよ」
「どういうわけで」
「桜の森の下へ行ってみなければならないからだよ」
「だから、なぜ行って見なければならないのよ」
「花が咲くからだよ」
「花が咲くから、なぜさ」
「花の下は冷めたい風がはりつめているからだよ」
「花の下にかえ」
「花の下は涯がないからだよ」
「花の下がかえ」

坂口安吾「桜の森の満開の下」より

 

よくガイジンなんかが「KAMIKAZE」なんて書いたTシャツを着ていたりしまして、こいつら本当にイミわかっとんのか、なんて思っていたりしますが、思えば「カミカゼ」という言葉に「陰」がついてしまったのは、あの時代の出来事があってから。

先日図書館で、「航空随想」と題した書物を発見しました。
奥付を見ると、昭和十二年初版、とあります。
実を言うと、これは「本物の」戦前出版の書籍ではなく、後年出された復刻版なのですが、そうはいっても非売品。書庫にも閉ざされず、閲覧書架にあって、ワタクシの目に留まり、かつ帯出可だったのは奇跡といえます。

著者は飯沼正明。

飯沼飛行士、塚越機関士というと、東京・倫敦連絡飛行を達成したコンビとして知られています。
彼らの飛行が快挙とされたのは、それが純国産機による記録であったということ。
そしてその国産機の名前こそが「神風」。

親善の任を担ってユーラシア大陸を吹きぬけた「神風」も、それにより自信を得た日本の航空業界も、共にその直後に戦雲にかき消されてしまったことを想うと、今から見れば悲劇としかいいようがありません。

でもこの時代、日本に軍国主義が台頭し、欧州ではファシズムが勢力を拡大し、列強は列強で植民地利権にしがみつく、そんな時代に大空から世界を見渡す当時20代の青年の眼差しは、純粋そのもの。

中国の美しい町の景色、バグダッドで夫婦子供の3人きりで赴任している日本企業の駐在員の話、ムッソリーニに会見した折に目撃した、彼の大きな疣の話、ロンドンのデパートで買った座席用クッションの話などが、すべて同じ次元で、同じ目線で語られています。
国境も、イデオロギーの違いもないかのような語り口です。「ヒトラー少年団」なんて言葉が出てきても、「ボーイスカウト」という言葉が使われているのと同じような軽さなのです。

純粋さと言えば、彼と塚越機関士との絆も、これってもしかして「衆道」?なんて勘ぐりたくなるくらいの率直さで述べられています。

飯沼飛行士は、戦時中に地上でタキシング中の飛行機にはねられるという、残念な最期を遂げたと聞きます。
戦争で敵弾にあたって亡くなったのではないのですが、彼の死の本当に悲劇的だったところは、その死が戦意高揚に利用されてしまったこと。
彼の死は新聞の一面トップ記事になりましたが、その記事では、彼は飛行中に対空砲火を受け、重傷を負いながらも基地に帰還し、戦況を報告してばったり倒れたというような、ウソの軍神に祭り上げられていたのでした。

昨日の記事で、「空の向こうへ飛んでいってしまいたい」なんて弱音を吐いておりましたワタクシ。
今日の休憩中にこの本を紐解いて、飯沼飛行士と共に大空を飛んでいるような気分になっていました。

空を飛ぶのに、翼や飛行機は必ずしも必要ではなかったのですね。
クスリやアルコールや 純粋な飛行士の書いた書物も、空へ誘ってくれる重要な道具だと知った、本日のワタクシなのでありました。

因みに飯沼飛行士は、松本の隣の豊科の出身です。
彼の生家は現在「飯沼飛行士記念館」として公開されています。

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