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よくガイジンなんかが「KAMIKAZE」なんて書いたTシャツを着ていたりしまして、こいつら本当にイミわかっとんのか、なんて思っていたりしますが、思えば「カミカゼ」という言葉に「陰」がついてしまったのは、あの時代の出来事があってから。
先日図書館で、「航空随想」と題した書物を発見しました。
奥付を見ると、昭和十二年初版、とあります。
実を言うと、これは「本物の」戦前出版の書籍ではなく、後年出された復刻版なのですが、そうはいっても非売品。書庫にも閉ざされず、閲覧書架にあって、ワタクシの目に留まり、かつ帯出可だったのは奇跡といえます。
著者は飯沼正明。
飯沼飛行士、塚越機関士というと、東京・倫敦連絡飛行を達成したコンビとして知られています。
彼らの飛行が快挙とされたのは、それが純国産機による記録であったということ。
そしてその国産機の名前こそが「神風」。
親善の任を担ってユーラシア大陸を吹きぬけた「神風」も、それにより自信を得た日本の航空業界も、共にその直後に戦雲にかき消されてしまったことを想うと、今から見れば悲劇としかいいようがありません。
でもこの時代、日本に軍国主義が台頭し、欧州ではファシズムが勢力を拡大し、列強は列強で植民地利権にしがみつく、そんな時代に大空から世界を見渡す当時20代の青年の眼差しは、純粋そのもの。
中国の美しい町の景色、バグダッドで夫婦子供の3人きりで赴任している日本企業の駐在員の話、ムッソリーニに会見した折に目撃した、彼の大きな疣の話、ロンドンのデパートで買った座席用クッションの話などが、すべて同じ次元で、同じ目線で語られています。
国境も、イデオロギーの違いもないかのような語り口です。「ヒトラー少年団」なんて言葉が出てきても、「ボーイスカウト」という言葉が使われているのと同じような軽さなのです。
純粋さと言えば、彼と塚越機関士との絆も、これってもしかして「衆道」?なんて勘ぐりたくなるくらいの率直さで述べられています。
飯沼飛行士は、戦時中に地上でタキシング中の飛行機にはねられるという、残念な最期を遂げたと聞きます。
戦争で敵弾にあたって亡くなったのではないのですが、彼の死の本当に悲劇的だったところは、その死が戦意高揚に利用されてしまったこと。
彼の死は新聞の一面トップ記事になりましたが、その記事では、彼は飛行中に対空砲火を受け、重傷を負いながらも基地に帰還し、戦況を報告してばったり倒れたというような、ウソの軍神に祭り上げられていたのでした。
昨日の記事で、「空の向こうへ飛んでいってしまいたい」なんて弱音を吐いておりましたワタクシ。
今日の休憩中にこの本を紐解いて、飯沼飛行士と共に大空を飛んでいるような気分になっていました。
空を飛ぶのに、翼や飛行機は必ずしも必要ではなかったのですね。
クスリやアルコールや 純粋な飛行士の書いた書物も、空へ誘ってくれる重要な道具だと知った、本日のワタクシなのでありました。
因みに飯沼飛行士は、松本の隣の豊科の出身です。
彼の生家は現在「飯沼飛行士記念館」として公開されています。