葡萄畑の傍に庵を結び、日々徒然なるまま
このブログのシステムもよく理解できぬまま、
勢いで始めてしまったブログ。
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さて
上の画像は、昭和55年ごろの米沢駅の様子です。
・・・って言うのはウソ。
この米沢駅。
新幹線も停まるくせに
あまりに時代を超越した雰囲気でしたので、
ちょっとイタズラして、古いカラー写真っぽくしてみました。
ちなみにうしろ振り返ると、こんな感じ。
いきなり21世紀。
それにしても
大雪の中で、コートを着て身をかがめて歩く人の姿って、
そのコートがどんなに最新流行のものだったとしても
遠くから見ると、どの時代も変わらない雰囲気なんだろうな。
車体側面の行先表示板が、あの長方形の板という
クラシカルな形式のディーゼルカーも
もちろん雰囲気作りの主役ではあるのですが
でもそれだけではこのタイムトリップ感は出せなかったことでしょう。
※
ところで仙台旅行記のはずが
なぜワタクシは山形県なんぞにいるのか。
それは帰り道に通ったから。
本当は帰りも東京回りで帰ろうと心に決めていたのですが
ホテルのインターネットでNAVITIMEに聞いてみたら
「こんなルートもありまっせ」
などとぬかしやがる
今更面倒なこと言うもんじゃないよ。
まあ話だけは聞いてやろう。
どれどれ
「仙山線」やら「米坂線」やら
聞いたことも無い路線名が並んでおります。
「仙台」と「山形」だから「仙山線」ね、それは分かる。
「米坂線」は牛肉の「米沢」と「坂町」・・・、さかまちってどこ?
ま、その後を読むと、このルート
東北地方を横断して日本海沿いを進めと
どうやらそういうことらしい。
おもしろそうじゃねえか。
そんなわけで、なび太君の提案に乗っかってみることにしたわけです。
※
で、思ったこと。
冬の東北横断が、如何に困難なことであるか。
いや、こちらはぬくぬくと列車に乗っているわけで
その列車も数分遅れた位のものでしたが
その昔
山こそ低いけれど
雪深く、谷もまた狭く深く刻まれた山岳地帯を
徒歩で渉るとなれば、それはもう命がけだったことでしょう。
しかしながら、自然は厳しさを増すほどに美しくなるもの。
特筆すべき「米坂線」の美しい車窓風景を眺めながら
こんな場所に鉄道を敷設した先人の偉業を
感謝せずにはいられませんでした。
記せども記せども消える足跡に
暮らしを繋げ 海へ出るみち
(米坂線 伊佐領駅)
・・・米坂線利用促進キャンペーンの標語みたいになってしまった。
※
日本海沿い
新潟で買った小鯛寿司の駅弁と、ワンカップ八海山を味わいながら
海を眺めておりますと
まだあと2回乗り換え、峠も2つ越えなければならないのに
早くも旅の終わりの気分になってきました。
それくらい、この東北横断行は密度の濃いものでした。
ただ電車乗ってただけなのに。
提案ありがとう なび太。
※
お留守番の相方へのお土産は
「牛タン笹かま」
という実に中途半端な商品ながら
おいしかったよ。
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