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葡萄畑の傍に庵を結び、日々徒然なるまま  このブログのシステムもよく理解できぬまま、 勢いで始めてしまったブログ。
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出港。
ほどなく船は南へ舵を切り、太平洋へ向かいます。
後部甲板に出てみると、
右舷に淡路島の町の灯、左舷に泉南方面の町の灯。
右舷後方には明石海峡大橋、そして
左舷後方には満月。



夜風に吹かれた身体を
風呂に沈め・・・。

この風呂ってのがね、いいんです。
海の上を疾る船上で浴槽につかる気分は、何物にも代え難い。

そして飯を喰う。
飯は勿論、相方父上差し入れの弁当やらなにやら。
かなり充実した食卓となり、
近くを通りかかった、京都某RMK大学の学生がうらやましそうに覗き込んでゆくほど。
(相方曰く、彼らはカップラーメンを啜っていたらしい)
ありがとう、父ちゃん。

さて、ビールの酔いも回り、就寝。



目覚めるとすでに船は日向灘、日南海岸沖におりました。
寝ている間にいつの間にかコトが進んでくれている。
ああ、なんという贅沢。

名残惜しく朝風呂につかり、飯を喰うと、
船は志布志湾内に入っておりました。
琵榔島を横目に港に入ってゆきます。



デッキに出るとパラパラと雨が・・・。



そして接岸。
自転車を受け取るころには、完全に小雨になっていました。
雨具を着込み、気を引き締めます。

周りを見渡すと、倉庫が並び、トレーラーが駐車し、
貨物船が荷役作業をしています。

日本中どこでも見られる、典型的な、
なんの変哲もない港湾風景。

しかし、ここをとりまく空気は、
松本のそれではありません。
この退屈な港湾風景の皮一枚めくった向こうには、
まだ見ぬ世界、人々、出来事が待ち構えている。

そんなニオイが紛々と立ち込めているのです。

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近鉄難波到着。1402時。
眉間に皺よせて立ち尽くすワタクシ。
目の前には情けなくフニャフニャになった後輪タイヤ。
なんで?
なんで走らせてもいないのに輸送中にパンクするわけ?

気をとりなおしてとりあえず自転車を組む。
すぐにパンク修理に入らなかったワケは、
何が原因でパンクしたのかが分からず、
(結局チューブが劣化していたらしい)
補修しても時間の無駄になる可能性があったため。

折りよく交差点にいたオマワリさんに、
「スポタカ」なるスポーツ用品店の場所を教えてもらい、
チューブを買い換えることに。



「ない?」
なんとチューブが置いてないそうだ。
けっこうデカい店なのになあ。

危惧していたとおり、その場でチューブを補修したものの、
すぐに空気が抜けてしまう。
これはチューブを手に入れないと、旅自体が成立しなくなってしまう。
(その日の1755時に南港かもめ埠頭より出港する
フェリーに乗らなくてはならない)
時は刻々と過ぎてゆく。
相方からは、スペアのチューブを持ってこなかった非を責められつつも、
有難い提案を。

難波から程近い鶴橋に相方の実家があり、その日は相方の父上が、
かもめ埠頭まで見送りに来てくれることになっていたのでした。
気が早く、万事慎重な父上は、すでに車でかもめに向かっている様子。
これを呼び寄せて、チャリごと車に乗せてもらうことになりました。
その途中でチャリ屋に行き、(どうやらサイクルベースあさひがあるらしい)
チューブを調達する作戦。

とはいっても父上の車はトヨタのパッソ。
とてもチャリ2台は分解しても乗りません。
というわけで、相方はそのまま南港まで自走。
ワタクシは父上をインターセプトするため、
なにわ筋をチャリを牽きながら南下。

「中開」なる交差点を過ぎたところで、父上に現在地をメールで打電。
打電しおえてふと顔をあげると、
目の前ほんの数十メートルのところにありました。
「じてんしゃや」の看板が。

古くてちいさな自転車屋さんで、
店先には5000円とか10000円とかのママチャリが並ぶ、
いかにも町の自転車屋さんといった風情です。
相談すると、英式バルブのチューブしか無いが・・・といいながらも、
(僕のは米式)
ワタクシの持つ携帯ポンプとのマッチングも調べてくれ、交換してくれました。
それどころか、リムの内側になにか原因があるかも知れないと、
内側にまくテープを「これは餞別!」と頂いてしまいました。
柔らかな笑顔の話好きな店主で、
いつしか心身共にくつろいでいたワタクシでありました。

さて、ちょうど修理が終わったころ、父上登場。
前輪だけ外した我がナダレ号をパッソにむりやり押し込み、
南港に滑り込む。1700時すぎ。

相方も無事合流。
父上からは船中の食料として、
「KYK」のとんかつ弁当と「ますせん」のてんぷらの差し入れ。
ここまで世話かけた上に、ここまで充実した補給。
感謝してもしきれません。
この父ちゃんには孝行せねば。



無事乗船。・・・なんですが、輪行袋に収納してあるのに、
チャリの船中持込は認められませんでした。
1台1000円払って、受託手荷物として預けます。嗚呼臨時出費。
でもこの預け方が面白くて、ターミナル脇に停まっているワゴン車に積み込み、
そのワゴン車ごとフェリーの車両甲板まで行ってしまうというシステムでした。
(ちなみにこのワゴン車というのがとんでもないオンボロで、
構内専用なのでナンバーはもちろん、ヘッドライト類も取り外されてしまったのか、
装着すらされていない状態のものでした。)



オンボロワゴンにチャリを託し、我々は徒歩で乗船。
雑魚寝部屋に陣取ります。少し離れて制服自衛隊員の2人組がおりました。
休暇中かな、とも思ったのですが、どうやら任務中らしい。



ドラが鳴らされ、出港!
デッキで見下ろすと、父上が手を振ってくれています。
夕暮れの空にはほぼ満ちた月が顔を出しています。
船は動き出しました。
旅も動き出したのでした。

オマケ画像



エアロパーツ満載のためそのままでは乗船できず、前バンパーのみ外されてしまった車。
(パーツは車の中に押し込まれていました)

ブログ再開を試みてみることにしました。
ウォーミングアップとしては、いささかフルスロットル気味に、
2月25日から3月8日までの12日間に及ぶ
鹿児島県を中心とした南九州チャリンコ旅の模様をお届けいたしますよ。


2月25日

昨日の気象情報によると最低気温はマイナス10度。
早朝、出発時の体感も、まあそんなもんだろ、といった感じで、凍結が心配。
駅までのチャリ走行でコケてしまっては身も蓋もありませんので、
ここは慎重に。

無事松本駅到着、サクサクと輪行準備を行う。
電車の発車までまだ大分時間があったので、
なんとなくスタバでコーヒーをテイクアウト。
でもいざ改札を通ろうとチャリを持ち上げようとしたものの、
熱い液の入った紙コップ片手じゃあ、こりゃ大変。
少しこぼして服にぶちまけてしまう。
まあなんといいますか、先が思いやられる状態というやつですな。
いつもながら。

で、中津川行き鈍行に乗車。
JR東海は鈍行列車でもなかなか乗り心地の良い車両を用意してくれています。
苦労して持ち込んだコーヒーを啜りつつ、車窓の景色に見惚れます。

今年の冬の松本は、なんだか珍しく雪が多くてね。
一面雪野原と化した、塩尻桔梗が原のぶどう地帯をながめ、
列車は木曽路に入ります。

中津川で乗り換えて名古屋へ、ここで近鉄に乗り換え。
まあまあ時間があるので、高島屋のデパ地下で昼飯調達。
チャリは近鉄改札前でお留守番。
身軽になった身体で、餃子を購入。調子に乗って缶ビールまで買ってしまった。
というか、昼飯にご飯ものは買わず、
餃子だけ買っていた時点で確信犯なのでありますが。
ちなみに相方は、野菜おかずたっぷりのおこわ弁当を買っておりました。

名古屋からは近鉄「アーバンライナー」なる、
オシャレでトレンディーでナウなヤングにバカウケしそうな名前の特急で
難波まで移動。
いやいや、馬鹿にしているわけでなく、
名前に劣らず快適で洗練された乗り心地でしたよ。
ただ我々の輪行装備でデカイチャリを持ち込むのは
やや気が引ける電車でしたね。

早朝出発、暖かい車内、満腹感、ビールというキーワードの果てにあるものは、うたた寝。
列車は西へ、夢見るワタシを乗せて。

お久しぶりでございます。

昨秋以降、なんとか再開しようと目論見つつ、結局今日まで来てしまいました。
前回の記事が「愚痴」なんて、変なものになってまして、それ以降滞っていましたもので、なおさら自分でもキモチワルかったわけではありますが。

あれ以降、まあいろいろありまして、沈んだり浮き上がったりで。
でもなんかよく分からないうちに、仕事上の「大目標」みたいなものが出来てきてしまって、
今年から来年にかけては、どうやらそれにかかりっきりになりそうです。

その大目標に邁進しつつ、ブログも続けていく、ということも理屈のうえでは可能なのかもしれないのですが、
ことワタクシに関して言えば、「一度に一つの事しか出来ない」という能力上の制約がございましてですね、
まあ、こちらはちとお休みを宣言しようかと。

とはいっても、ブログ自体を閉じようとは考えていません。
保守程度に内容の無いものを上げつつ、閲覧可能な状態は続けていくつもりです。

いままでお相手してくださった方々、どうもありがとうございました。
とはいえ、ときおり気晴らしになにか載せるかもしれないですけど。そのときは宜しくです。

明日からまた上高地にあがります。地獄の日々、再び。


そうそう、ワタクシ実は上海から帰ったばかりの身であります。
まあ例によって相方との珍道中。
日本を離れる前日に京都観光して、往路は大阪ー上海便の船で船中2泊、という、訳わかんなさ満開のプランでして、帰りはまあ飛行機ですが、こんなご時勢、成田にちゃんと着いてくれるのか、直前までやきもきしながらの旅行でした。

「こんなご時勢」ということで、出発直前まで計画実行するか、かなり迷ったのですが、神奈川県の家族に、いざというときに松本へ避難するよう指示を出し、さらに「空気読まない(実は読めない)主義」の我々が、率先して無意味な自粛ムードの先棒かついでどうする、と胆をくくり、行ってきました訳です。

さまざまなヒトと出会い、話をして、見て、聞いて、中国を膚で感じて。
「こんなご時勢」だからこそ、大切な経験ができたと思います。


8c1845f1.JPG

乗り越えて ついにここまでやってきた そんな感覚 いつ以来だろう


上海入港時。
左下に「東方明珠タワー」がちらっと見えているのが証拠写真的。


宇宙は吾と共に在り
星空に拳突き上げそのことを知る


ずいぶん大きくでてしまいましたが、
それには訳がありまして。

ついさきほど、
こんなことがあったのです。



夜の仕事の途中
夕食を摂るために食堂へ行こうと外へ出ました。

空にはいくらか雲がかかり
合間に星が見え

その星に向かって
何の気なしに
なぜだか分からず

拳を突き上げてみたのです。

その瞬間

空全体が光り
青白く光り

僕は自分の手を見つめて唖然としていました。



ただの幕電のタイミングが
偶然に合ってしまったといえばそれまで。

実際それだけのことなのでしょうが、

でもそう考えても
そう考えなくても

地球は廻り
宇宙は広がり
時は流れてゆくのです。

だから

あの光はきっと。
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