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葡萄畑の傍に庵を結び、日々徒然なるまま  このブログのシステムもよく理解できぬまま、 勢いで始めてしまったブログ。
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安曇野に 春が来たきた
踊り子も ふぐり広げて 梅見の宴

・・・ってことは踊り子さんはニューハーフ?

せっかくの、アルプス、梅、春のお花畑と
三拍子揃った景色なのに
なんだか下世話なウタになってしまったな。

地べたのお花の名前は
「ヒメオドリコソウ」に「オオイヌノフグリ」。
この二つの名前からは
こんなウタしか思い浮かばなかったのですよ。

なんとも貧困な想像力であることよ・・・。

でもポワーンとした、脳天気な春の陽気の雰囲気は出てますでしょ?

ところで

昨日の記事の飯沼飛行士記念館へは
自転車で訪問したのでした。

片道15km以上。
最近のタルんだ身体にとってはちょっとした遠出です。
しかも、平地のみを伝うルートがあるにも関わらず
わざわざ背後の里山の峠を越えるルートを選んだのには
ちょっとしたワケがありまして。

d902a6ee.jpeg

この景色を、いつか自転車でゆっくりと下りながら見てみたいな
そういう念願があったからなのです。

この手前は、ゆるやかな里山丘陵地帯なのですが
このV字を越えたとたん
道はいきなり急斜面を稲妻状につづら折れる形になり
一気に安曇野の平野へ下ってゆくわけです。

何度かクルマで通った道なのですが
よそ見するわけにもいかず
十分に景色を堪能したこともなかったので
お天気に恵まれたこの日
念願かなって本当に幸せでした。

幸せの代償が筋肉痛だったのは言うまでもありません。

この道を下りながら
この距離で見ると
おそらく昭和初期から、そう大きくは変わっていないであろう景観を眺めて
70年も前に
ユーラシア大陸を
風となって吹き抜けた青年のことに
思いを馳せていたのでした。
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41037f25.jpg

銃弾を蹴散らし 戦火を吹き消して
流れ続けよ 平和の神風

昨年の春
空を飛んでいました。
書物のペエジに乗って・・・。

(参照記事)

南の海を目指し
ヒマラヤの高峰を横目にインドを渉り
アラビヤの砂漠から
地中海の向こうにそびえるアルプスを越え
花の都パリ
そしてロンドンへ。

連れて行ってくれたのは
隣町 安曇野出身の飛行士。

行こう行こうと思いつつ
なかなか動かぬ思い腰を
ようやく上げて
本日は彼の生家を訪ねてきました。

今は「飯沼飛行士記念館」として公開されています。



いずれ、今度はゆっくりとヨーロッパの空を飛んでみたい
そう彼は思っていたそうですが
残念ながら、戦争中に事故死して
その願いがかなうことはありませんでした。

今でも彼ら(飯沼飛行士及び塚越機関士)の飛行ルートの下には
インド・パキスタン
イラク
少し外れてますが、アフガニスタン
それにイスラエル周辺

他にも諸々

銃弾が飛び交い
完全無欠のハイテク兵器は「間違って」民家を破壊し
子は親を喪い
親は子を喪い
恋人は人を殺しに旅立ち

そんな日常が繰り広げられている世界があります。

それでも
この神風号のチームが繋いだルートは発展を続け
東西の多くの人々が交流し
理解しあい
人々は視野を広げ続けています。

・・・おそらく
そう信じたいものです。

今は混迷を続けるこれら地域に
埋もれるようにして
だけど決して切れることのない
相互理解の蜘蛛の糸を再確認して
ほんの少し、心が軽くなりました。



「飛行士」といえば
現代では
「宇宙飛行士」です。
彼らの業績が
くだらない戦争の道具にされることのないようにしたいもの。

それは今を生きるわれわれの役目。

何が出来るかわからないけど
まずは
主張し、争う前に
一歩踏みとどまって
その前にするべきことがあるだろうかと
考えるようにしたいものです。

前回の記事参照。

さて

なぜ須坂に行ったのか。

時は2月14日。
セイントバレンタインズデイ。

つまりですな

お雛様を見に行ったわけです。

全然関係ないじゃん。



須坂市では、ここ数年雛祭りの展示に力を入れておりまして、
期間中、市内の数多くの施設で展示をしております。
中にはなんと30段飾りのお雛様などもあったりしまして
それはそれはたいそう見応えのあるものだそうです。

で、午の刻過ぎた頃に市内に乗り込んだワタクシと相方。
見物の前に腹ごしらえをと思い、市中徘徊いたしました。
市中、といっても自動車を停めた場所が街外れの公園でしたので、
市街の外側から市中へと向かったわけですが。

その公園の駐車場というのが、以前から気になっていた
「豪商の館 田中本家博物館」
のそば。

ここにはお食事処があるということで
まあここで喰らいますか、ということになったわけです。

その判断が運の尽き。
結論から申し上げますと、
あまりの充実振りに、ここ一軒で見物が終了してしまったわけです。

以下写真。
 

8c0fa57d.jpegf0865ccb.jpeg

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まずはこのすばらしい庭園+建築物群に加えて
館内の展示物も貴重なものばかり。
1週間かけて飾り付けをして
仕舞うのに1ヶ月かかるお雛様が圧巻です。
(出し入れにかかる期間についてはうろ覚えです)
しかもそれが、江戸時代のものから昭和のものまで何組もある。
お雛様専用の蔵まであるそうで。



左下写真の建物は、客殿だそうです。
内部に素晴らしい襖絵があります。
但しこの建物は非公開。
ではなぜ内部のことを知っておるか、この曲者。
それはお庭番のおぢちゃんに聞いたからです。



さて、気になる右下写真のごちそう。
「やまどりのお雑煮」です。
江戸時代の文献から再現した、お殿様のお雑煮。
さすがにやまどりはそうそう手に入らないのか
キジで代用しておりますが
うっとりするような良いダシが素敵です。

さらにさらに。
添え物たるべき香の物。
これがまたすごいんです。

瓜の粕漬けなんですが
地元の銘酒「渓流」の蔵元「遠藤酒造」の大吟醸の酒粕で漬けた逸品で
一切れ口に含むや
あの大吟醸の
ふるうてぃ~、な馥郁たる香りが口中に満ち
やさしい酸味と甘さとが
こりこりと噛むほどにしみわたってくる。

・・・じゅる。

売店で売ってたので買ってきました。
ここの従業員手づから漬け込むのだそうです。

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冬の日のかたぶくも忘れ
目に舌に 酔わされ 千鳥やすざくの旅路

今回は「すざか」の代表的な蔵の町並みなどは見ず終いでした。
これは次回の楽しみに取っておくとしても
このエリアには
他に小布施などもあることですし

北信侮りがたし

そう感じた一日だったのでした。
(ちなみに松本は「中信」です)

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天を突く 甍の下の また下の
粒ほどの場で 泣き 笑い 生きる

いわゆる「善光寺平」の西側にある小都市 須坂。
(後日修正。 「東側」です。やばいやばい、酔うと方向感覚が・・・)
蔵の街としての充実度は、実は松本以上です。

中心部からすこし外れた百々川緑地にかかる「臥竜橋」から眺める夕景。

山並みの手前の低いところに
薄く白く澱んでいる層が
長野市です。

県庁所在地で、人口は松本よりもよっぽど多い街です。

山並みの梁に支えられた
大空の屋根の下
人々はさらに芥子粒のような屋根を連ねて
その下で
寝て起きて 飯を食い 仕事をして
怒り 諦め 喜び 許し
夢を見 考え 放心し
小さな屋根の上にある空のことを
忘れたりしているわけです。



ところで
神様っていると思いますか
なんて聞く輩がいたりしますが

思うどころか
会ったことありますもん。
ていうか
神様になったことありますから。

あの一番奥の山並みを
右から左に伝い歩いている途中でね。

だからどうしたといわれれば
それまでの話。

つまりそゆこと。
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やまぶんどの 蔓をまといて 春を待つ
お地蔵様の 破れ衣かな

いつもの葡萄畑の丘の、てっぺんの集落のちかく

実はもちろん、葉さえもない
骨組みだけに見える冬の葡萄棚でも
農家の方たちは手入れに余念がありません。
丹念に 愛情こめて。
 
でもそんな大切にされている葡萄棚を尻目に
ガードレールだろうが
道端のお地蔵様たちだろうが
ところかまわず絡みつき
わが世を謳う山葡萄たち

春を思わせる日差しの中
どちらの生き方も
幸せそうです

お地蔵様の頬も
ちょっとばかり
緩んでいるようにみえませんか。
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