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葡萄畑の傍に庵を結び、日々徒然なるまま  このブログのシステムもよく理解できぬまま、 勢いで始めてしまったブログ。
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0600時 パノラマコース分岐を出発。
手元の2.5万図上では、二条線で表される道路としては一番細い「幅員3.0m~5.5mの道路」とされる道が、しばらく奥まで続いていることになっています。おそらく並行する沢に設けられた砂防堰堤を建設する際に敷設された道路なのでしょう。
実際に歩いてみると、堰堤群竣工の後は車両の通行もほぼ途絶えていると見えて、実効幅員は2.0m程度にまで狭まり、路面も車道と呼ぶには憚られるほどに荒れていましたが、それでもまだ、日本が世界に誇る最強のオフロード車、軽トラがなんとか通行できる程度の道は確保されていました。

R0012193.JPG
































すこし進むと、森に隠されていた行く手の山が見え始めました。
朝日が当たって、燃えるように輝いています。
「モルゲンロート(morgenroth)」と呼ばれるものです。
モルゲンは朝を意味するドイツ語。グーテンモルゲンといえばドイツ語のおはようのことですが、そのモルゲンです。
ロートは目薬のこと・・・ではなくて、赤を意味するドイツ語です。

日本のアルピニズムはその発展過程において、ドイツ、フランスの影響を多く受けていますので、登山用語にはそっち系の言葉が多いわけなのですね。


R0012216.JPG










しばらくは気持ちのよい道が続きます。
この先に待ち受ける激登りに想いを馳せつつ、身体を慣らしていくのです。

















R0012223.JPG
























おおっと!
いきなりすんごい紅葉の森が現れました。
なんかもうこれだけでもいいや、という気になりました。
なんていうか、前菜に300gのステーキが出てきたような、ウェイティングバーで食前酒と一緒に特盛牛丼が出てきたような、いったいこの先どれだけご馳走攻めに遭うのだろうと、ワクワクした一瞬なのでした。

R0012225.JPG
































少し先にはケルンが現れました。
ケルン、という言葉もどうやらドイツ語らしいのですが、ドイツにある有名な都市ケルンとはつづりも違うし、まったく関係ないらしいです。

このケルンは、井上靖の小説「氷壁」の題材となった実際にあった事件、「ナイロンザイル切断事件」の犠牲者であるクライマーの墓標です。
我々にとっては、道しるべ、という意味合いが強いケルンという言葉も、ゲール語源あたりまでさかのぼると「墓標」という意味になるという話を聞いたことがあります。

R0012240.JPG
































徐々に傾斜がきつくはなるものの、まだまだ序の口序二段三段目、十両までにも達しません。
撮影しながらゆるゆると、いつのまにやら分岐点到着。
0645時。

まっすぐ進むと奥又白池ですが、ここは手前の岩の赤ペンキ先生の指示に従い右折、涸沢へと進みます。

酔いも回ってきましたので、本日のお話はここまで。

ちょっとだけ次回の予告をかねてこの付近の紅葉画像をば・・・・
R0012253.JPG
























次回を剋目して待て。
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0400時。

周囲が寝静まった宿舎の中を、こそこそとザックを担いで忍び足で出てゆくワタクシの姿は、どうみても夜逃げに見えたことでしょう。
でも感じていたのは、夜逃げの敗北感とは程遠い(・・・なんて書くとなんだか経験者のようですが、もちろん経験したことはありません・・・まだ。)、山に向かう高揚感なのです。
日帰りとはいえ、久々に手応えのある山行に向かう山靴も、いきいきと足首を支えてくれているのを感じます。

外に出ると、秋分の日を越えて久しい早朝の景色はまだ真っ暗。
でも、それこそ「目をつぶってでも」歩くことのできる小梨平あたりまでは、ヘッドランプ無しで行こうと歩き出しました。

河童橋あたりで暗闇に目がなれたのを感じ、ふと見上げると満天の星空。しばし足をとめます。
視線を感じて振り返ると、両手を縛られたカシオペアが、自由なワタクシを恨めしそうに見ています。
その横ではケフェウスが素知らぬ顔をしています。
ペルセウスやアンドロメダもいるはずなのですが、よくわかりません。
もちろん見つけられはしませんでしたが、この近くには「きりん座」なるものもあるそうで。
遠くアフリカはエチオピアの王朝の神話を彩る登場人物たちが、今、上高地にいるワタクシを見下ろしている、そんな不思議で神秘的な現実の中を、ワタクシは再び歩き出しました。

星座劇 役を貰えぬ我なれど せめては姫の小道具たらん

小梨平を過ぎる頃、前方を厚く閉ざす暗闇にヘッドランプの光のドリルで穴をうがち、前進開始。
ほんとうに暗い。
明かりをつけると、明かりが当たっている部分に目が慣れて、外側の部分は却って暗く見えてしまうものだとわかってはいても、さすがに光のない森の中でライトを消す気分にはなれません。
ただ、ところどころ森が途切れる部分があり、そこではせっかくなのでライトを消してみることにしました。日の出もまだ、月もすでに沈んでしまっているのに、開けた場所はなぜか明るいのです。
光源は、いうまでもなく星。
今時よほどの田舎に行ったとしても、人間の生活圏で星明かりを頼りに歩くなんて経験はなかなかできないものです。
月明かりは、肌に優しく沁み込む感じがしますが、星あかりは、もっと深く、骨の髄にまで届く感じがします。このままここに居続けたら、骸骨が光って透けて見えてくるのではないかと思うくらい。
そしてまた森のトンネルへ。

明神橋分岐通過 0445時。

徳沢に近づくにつれ、空が少づつ白くなってきました。
開けたところでふと川の対岸を見ると、今まで黒一色だと思っていた空間に、何やら濃淡が現れ出しました。
歩くにつれてその正体がはっきりしてきます。
R0012159.JPG
明神岳の稜線です。















R0012160.JPG
















日の出はまだ先なのですが、やはり太陽に由来する光というのは、こんなにも安心を与えてくれるものなのでしょうか。
すでにヘッドランプを消したワタクシは、予想以上にはかどった行程に幸先のよさを感じながら、徳沢へ到着しました。 0535時。


少し休んで出発。
R0012174.JPG徳沢のテン場では、早立ちの人たちが出立準備をするヘッドランプの明かりがうごめいていました。






























R0012185.JPGほどなく新村橋へ到着。
事実上、ここがパノラマコースの入り口となります。

これから越えてゆく稜線が、ますます鮮明に見えてきました。



























R0012192.JPG










橋をわたって林道を歩くと、ほどなくパノラマコースへの分岐にたどりつきました。

深呼吸をして、軽くストレッチ。


出発 0600時。
秋がやってきました。

秋といえば、誰が何と言おうと紅葉なのです。
そして紅葉と言えば、涸沢なのです。
これはもう動かし難い事実、いいや、真実なのでありまして、かつ、ここの紅葉を見てしまったが最後、もう他の景勝地の紅葉では飽き足らなくなり、さらに秋が近付くとここの景色が恋しくなり、蒲団の上で身をよじり、狂おしく眠れない夜を過ごす、秋の涸沢とは、そんな麻薬のような危うさを秘めた「禁断の果実」でもあるわけなのです。

とはいえ、誰でも気軽にたどりつける場所、というわけではありません。
なにせ、最寄りの交通機関の終点(上高地バスターミナルのことね)からは、標準で徒歩6時間かかる場所にあるわけなのですから。
さらにそこまで累積標高差800m以上あるということをお忘れなく。

でも、その片道6時間の行程を、鼻歌まじり、お散歩気分で歩き通すことのできる異常な人種がおります。
彼らの名を「山ヤ」と申します。
恥ずかしながら、ワタクシもその一員であることをここに告白せねばなりますまい。


そんな涸沢。
ようやく会いにゆく機会に恵まれました。
10月10日体育の日・・・って、今はもう違いますね。
でも10月10日が、なぜ体育の日に制定されたことがあったかと申し上げますと、この日が統計的に最も晴天率が高い日だったから、というのは有名な話。知らなかった人は、こっそり覚えておくように。

そして、偉大な統計の神様のおっしゃる通り、10日はどうやらいいお天気らしいのです。
数日前から、ココロのなかの小躍りが行動に出てしまわないように苦労していたワタクシなのであります。
(おそらく行動には出てしまっていたのでしょうが、周囲が見て見ぬふりをしていたか、面白がって眺めていただけだった可能性のほうが大きいのですが・・・)

ほんとうはね、連休とってテント担いで行きたかったんですが、生憎一日しか休みが取れなかったので、まあ仕方なく日帰りを画策したわけなのですね。
ということは、涸沢からどこかの山(奥穂とか)を越えて、周回コースで上高地に戻る、なんていう周遊気分を楽しむことは、これで現実的な話ではなくなったわけで、これはもう単純往復するしかないか・・・。
なんとかして往路と復路のコースを違える方法はないものか・・・。

とはいえ、単純往復したとしても、一日歩行時間正味11時間。(下りはちょっと早くなるからね)

うーん、1日8時間以上の行動なんて久しぶりだぁ~。
ほぼ1年、マトモな山登りをしてなかった身体が最後まで動いてくれるかなぁ。

なんて不安がモコモコと頭をもたげた先から、「楽観」という名のブルドーザーが、そんなモコモコをあっという間に地ならししてしまい、クリアになった地平線の先に見えたのが「パノラマ」という文字。そうだ、そのテがあった。


「パノラマコース」。
地図の平面上で見ると、涸沢へ達するメインルートをショートカットする形に見えているルートで、「パノラマ」なんて名前も相俟って、お、いいルートじゃん、なんて思いがちなのですが、冷静に等高線を読んでみると、これがとんでもない喰わせ者であることがわかるのです。

まず、上高地方面からこのコースに入る場合、密にひかれた等高線を一直線に突き抜ける形で引かれた点線を辿ることになります。つまり「急登」ということ。
さらにその点線は、勢い余って目的地たる涸沢のある標高2300mあたりを突き抜け、2500メートルくらいにまで達して、ようやく止まります。
登山口からの標高差900m。その間登りっぱなし。それに加えて、最高地点から先は、「がけ」の表示がびっしり連なる中を、点線は等高線とわずかな角度で交差しながら涸沢へと達しているのです。
これは、滑落や落石の恐れのある崖の中腹を横切りながら、じりじりと下っていくことを意味しています。
このコースと通常コースを使えば、周回コースを構築できるというわけで、たとえ単純往復だったとしても素晴らしいであろう涸沢行きに、さらに華を添えることができるというもの。

それにしても、見るからに疲れそうで、苦しそうで、痛そうで、怖そうで・・・・なんて素敵なコースなんだろう!
上記で、自分が「山ヤ」であることを告白したワタクシではありますが、もののついでにもうひとつバクロしてしまおう。

すべての山ヤはマゾヒストである、と。


さてさて、次回からは、涸沢中毒の禁断症状の果てに、日帰りにも関わらず、労の多そうな因果なコース取りをしてしまったワタクシの山行記が始まります。

今回はウタも写真もなし。次回を剋目して待て。
なんだか色々な衝撃を与えてくれる福井の街でした。
そろそろ時間なので、路面電車を味わうことにします。
最初は田原町という本線(?)のターミナルから乗ろうと思ったのですが、足の向くまま歩いていたら時間も押し迫り、福井駅前から乗らざるを得なくなりました。まあでも行きがけに見たスイッチバックを体験できるはずなので、良しとしなければ。

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電車の車内。
なるほど、見た目ユーモラスですが、こうしたら確実に定数が座ることができそうですね。

結局、路面をフルサイズ電車が走るところはまともに見ることができず、後ろ髪を引かれたまま、電車は武生へと向かったのでした。

しかしこの電車、揺れるゆれる。縦揺れ横揺れナナメ揺れ、上下にも揺れ、下からガツンガツンくる衝撃もなかなかのもの。そしてこんなジャジャ馬を平然と乗りこなす福井の人々。
やっぱり僕は福井に住めそうにない。


 
さてこの後は駆け足で。
武生から敦賀へ、敦賀から新快速で米原へ、米原から大垣へ、そして大垣から名古屋は金山駅前の、パチンコ屋の上のカプセルホテルにチェックイン。時刻は夜10:00を回っておりまして、疲れた足(というか尻)を引きずりつつ、夕食を採ろうとうろうろしていたのですが、空いているのは居酒屋ばかり。別に居酒屋でも良かったのですが、目に付いたファミレスに吸い込まれてしまいました。

しかし金山という場所は初めて訪れたのですが、なんだか下世話な雰囲気の街ですね。東京で言えば歌舞伎町?いやそこまで行かないか。蒲田とか?五反田とか?

翌朝。
階下の開店前のパチ屋には行列ができております。カプセルホテルのフロアからエレベーターで一緒に降りてきたおじさんも、その列の後ろに並びます。通りの向かいのパチンコ屋にもやっぱり行列ができています。そんな光景を見ているうちに、もう名古屋観光する気も失せ、お昼頃の高速バスで名古屋を発ちました。
バスが伊那谷に差し掛かったあたりに感じたほっとした気持ちは、なぜか自分でもびっくりするほどのものでした。

おまけ
 
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一度拝んでみたかった、名古屋名物「ナナちゃん」。
彼女も「裁判員制度」をPRしています。

股の間をくぐって、今年は無病息災。(嘘)

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道路公団も民営化されて、SAも様変わり。
あーらびっくり、ファミリーマート。
 
適当に右に曲がって少し歩いて、ある道路を渡りつつふと右を見て、思わず立ち止まってしまいました。

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石垣の上にそびえる大建築。その名を「福井県庁舎」。

案内地図板を見たときに感じた違和感はこれでした。
だって、お城の本丸に居座る県庁舎なんて、47都道府県の中でもここだけではないでしょうか。大体は二の丸とかにあって、本丸は公園になったりしてるもんです。
 
まあ、でも立地的にしょうがなかったのかもしれないとか、土地の有効利用とか、いろんな考え方があるし、別にいいじゃないか、本丸に役所があるのに違和感を覚えるのは単なる僕の趣味の問題だ、なんて納得しようと思えども違和感は拭いきれず、実際に現地を確認してみれば、やっぱり変だよ、これ。

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見る場所を変えてみる。
うん、すこし変さは薄らいだけれども、威圧感は相変わらずだ。それに、ここが本丸であることを気にしだすと、どうも見ていて気分が落ち着かなくなってくる。

実際に石垣の内に入ってみる。
なんだか石垣と庁舎に挟まれて、自分が小さく感じてしまった。
いったいなんだってこんなところにお役所の建物をつくっちまったんだろう。
 
こんなこと感じるの、僕だけかなぁ。

福井県の人々よ、悪口じみたこと言ってごめんなさい。
確かに福井県には良いところがいっぱいある。
神秘的かつ親しみの持てる雰囲気の永平寺、蕎麦がおいしかったなぁ。あと東尋坊の奇景、越前ガニおいしかったなぁ。日本のメガネ生産のシェアが80%だか90%だか、そんな地味ながらもすごい個性を持つ、鯖江なんて街もある。昔バイトで一緒だった鯖江出身の女の子、おいしかtt・・・いやいや、別に食べちゃいません。本当です。でもかわいかったな~。
 
だけど僕は福井県民にはなれそうもない。
この県庁舎に用事があって行く度に、どうも卑屈な気分になりそうだ。

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今は県庁の門番を勤める、元城主、結城秀康公。
城を乗っ取られて何を想う。
 
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